私に語らせて欲しい


「明日は明日の風が吹く - 弱さは強さの鍵となる(from 歓楽叶わぬ納骨堂庭園)」を読んで。


大変であるかどうかについて筆者はこう言っている。


他の人にとってどうかではなくて、xuraさんにとってどうか……で良いと思う。それを周りが理解するかどうかという問題はまた別だから(私などは分かって欲しいと願うタイプなので、ちょっと無理があるかもしれないけど)。


そうだ。確かに私にとってどうであるかが大事だと思っている。そして、私は筆者とは違い理解されなくてもいいと思っている。昔は分って欲しいと思っていた時期もあったが、今は理解されなくても受け入れられなくても、それでも黙って見逃してくれればいいかなと、そんな風にも思っている。とは言え、批判されても別に構わないのだが。昔に比べて随分とスルーできるようになったので。


 ネットの揉め事は心の持ちようかもしれないけれど、それを一人でくぐり抜けるんじゃなくて、助けてくれる人達がいてこそ、耐えられたって事もあったなぁとか思い出した。


私は助けられたという事はない。それは実際に助け舟を出してもらった事がないという事であり、精神的な支えにはなってもらっていた事は認める。だが、基本的に私の友人は助け舟などは出さない人々だった。私の奮闘を見守っていてくれ、影で暗示をかけるかの如く言葉をかけ続けてくれたな。私も遠い目をしてしまいそうだ。(笑)
私にとってはそれで良かった。友人のほとんどがそういう論客なタイプではなかったので、下手に手出しをされたらもっと場が荒れたはずであるから。


それから、他人の書いた記事などを紹介するにあたり、筆者は今までに嫌な思い等をされた事もあるのではないだろうか?
私などは此処で書く前に某ブログでは他人の書いた物を紹介し、それについて自分語りをしていた事を非難された事もあった。それは私の紹介の仕方がまずかったのかもしれない。それもあって、本当ならば私などが他人の記事で何かを語ると言う事を果たしてして良いものか如何か不安ではあるのだが、矢張り私はこうやって誰かの書いた物で思った事、感じた事を語りたい。
だから、筆者のように「読んで貰う事」「興味を持って貰える事」「語り合う事」を喜びと感じて下さる人には心から感謝している。本当に有難う。