誰かに期待する計算と姑息さえ許せる仲も良いものだよ


「Ladder to the Moon - 私を甘やかしてはいけません」を読んで。


この記事を読んで最初に思った事は「矢張りあなたは私の知り合いに似ているよ」だった。何処が如何似ているか詳しくは言わぬが、一つ言えるとしたら、他人に優しくされた場合、その人もこんな記事を書くような人だったと言って置こう。


あなたは御自分を「そんないい奴じゃあないですから」と言うが、それはそっくりそのまま私もあなたに返すよ。私も良い人間ではない。他人に優しくするのも自分が優しくされたいからというのが本音だったりするからな。決してその人の為に優しくしているとは言い難い。私は自分も他人も両方が気持ち良くなれる事を考えているので、私が優しくする事を喜んで下さらない相手には優しくはしないよ。勿論、相手が本当に私が優しくする事を嫌がっているか如何かは完全に私の印象でしか無いので、本当は優しくされて嬉しく思って下さっている方もいるかもしれない。だが、私には分かり難い相手の反応であればそれはもうどうしようもない。縁が無かったのだということでなるべく関わらないようにしている。


今までは無かったけども、でももしかしたら次回はその時に
「もしかしたらこれでまたxuraさんが慰めてくれるかも…」
なんて脳裏によぎってしまうかもしれない。



そんな風に誰かに何かを期待するようになること。その計算と姑息さと嫌らしさ。
自分ならやってしまいそうだ…。
それが何よりも怖い。怖い。怖い。


そう、私を甘やかしてはいけません。
私は少々「あそこが変だ」「ここが痛い」と批判されているぐらいがちょうどいいのです。(いや本当に)


私は、慰めて欲しいと素直に言う人が好きだ。慰めて欲しいと言われれば、全力で慰めるよ。それに対して負い目を感じる事は無い。私も誰かを慰める事で慰められているのだ。だから、慰めてくれる人にあなたは甘えればいい。その慰める人とはこの私の事だが。「変だ」とか「痛い」とか批判する事は誰か他の者がすればよい。私はおいしい所を貰っていく。(笑)
私も他人に「変だ」とか「痛い」とか言われる事もあるからな。だから、誰かから慰められたいと何時も思っている。それが私にとって誰かを慰める事で願いが叶うのだから、私に慰めさせてくれ。そして、勿論、私も慰めたいと思える記事を書かれている時しか慰めないよ。だから、安心して、はてなという草原を走ってくればいい。傷付けられる事を恐れず、思い切り傷付いてこい。あなたを、私というオアシスが手を広げて待っているから。


最後に一つだけ。あなたにはドライになって貰いたくないな。ウェットなあなたが一番あなたらしい。悪い意味ではなく。乾いた草原には潤いが必要だからだ。潤いを忘れないで。これからもな。


【追記】どうやら、もう私の慰めは要らぬらしいな。他の者に慰められているのだろう。結局は、私という存在は誰にも慰められたいとは思って貰えぬのだ。