私は誰かの為に書いている


「まだメモ 断片部の過去ログの(人間/情報)と虚像につなげていくつもりの - ところてん - 棒状炭水化物」を読んで。


この記事に書かれていることは私の心の代弁でもあると思ったよ。記事を書かれた方は不本意に思うかもしれないが。


 私が文を書くのは私のためだ。私が自分を知るために、自分自身を掘り返すために書いている。そしてそれを形にする。そして誰かが読む。そしてその誰かは私と同じように自分を掘り返す。私とその誰かは別人であり、他人だ。全く異なる人間で、理解しあう事は出来ない。しかし、理解するきっかけを、私を、あなたを、影響しあう事は出来る。そして、自身を理解する。
私が文を書くことは自分自身の対話をし、そしてそれを誰かに見せるためだ。それを読んだ人がその対話によって、おのれを知ってもらえれば、それでいい。私個人に繋がらなくても、それで私は満足する。


私が私として此処で書くようになったのもこれに似たような気持ちからでもあった。私は彼女のように己のリアルでの状況は書かぬが、私の心の中で渦巻くものは正直に書いてきたつもりだ。それは、何処かに居る私のような人間に「あなただけではないのだよ」と言いたかったからでもある。あと、私自身を私自身の手で救う為でもあった。ただ、私の場合は、私の承認欲求は満足させられた。それがたった一人であったとしても、私はそれで構わなかったのだ。誰か一人が私を認めてくれれば。そして、私はそれが満たされたのだが、それでもまだ私は此処で細々と書いている。何故か。そうだな。今は私は己を救う為に書いているわけではないからなのだろうな。


本当は削除してしまおうかと思っていたのだ。もうxuraとして書くことは止めてしまおうかと思っていたのだ。自分を救う為ではなく、誰か救いたいと思って書いても、私の救いを待っている人など実は誰もいないのではないかと何故か思ってしまったからでもある。だが…。


私に消えないで欲しいと思ってくださる人が一人でも居ると知ったから、だから私は駄文を垂れ流し続けようと思ったよ。私が書いたものを望んでくれる人を大切にしたいからだ。私も誰かの承認欲求を満たしたいと思うからだ。それをその人が望んでくれれば、なのだが。何処の誰かはわからぬが、望んでくれるか?私に承認されたいと思ってくれるか?そうであればいいのにと思うよ。