過去も現在も今目の前に存在している

続けて記事を書いていくと、過去に書いたものに言及されたりすることもあるだろう。私の書いたものはそういうことはあまりないが、そんなふうにまるでタイムマシーンに乗せられたような気分になる言及記事をもらう者もいるかもしれない。だが、私は自分が書いた過去の記事は定期的に読み返しているので、誰かが過去の記事を言及してくれたとしてもタイムマシーンに乗せられたような気にはならないだろうな。確かに多少は考えが変わっていたりすることもあるが、考えが変わる前の私も私自身に他ならないし、変わる前の自分の気持ちもよく覚えているからだ。尤も、それもさすがに子供の頃となると今の私とは別の人物という気もしないではないが。


私は自分の書いた記事を誰よりも大切に愛しく思っているのだ。過去記事で馬鹿な醜態を晒していても恥ずかしいとも思わぬ。それを書いたのも間違いなく私自身なのだからな。誰が私を笑おうが、非難しようが、罵倒しようが、私は私の積み上げてきたものを大切に思っているのだよ。


過去に出会ってきた大切な人もまた私という存在を作り上げてくれた大切な存在。そして、現在の私を精神的に支えてくれる人も等しく大切な存在。そのどちらも私にとって何よりも大事なのだ。それは今聞いている音楽にも言えることだ。昔好きで死ぬ程聞いていたが今は別の曲ばかりを聞いていても、定期的に昔死ぬ程聞いていた曲を聞いたりもする。今聞いているように。クラシックの音楽だよ。私の子供の頃の家庭環境ではクラシックを聞くのが当たり前だったからな。



Beethoven Piano Concerto No 5 Emperor Hélène Grimaud Paavo Järvi hr Sinfonieorchester