私の存在はその人の幸福だったらしい


「愛されたり評価されたりするのは私自身ではなく私の書いた文」という言葉を見かけた。この方は私と似たような方なのかなと思ったよ。さて、ここで私の思い出話をする。


私は一人の人間に深く愛された事がある。それはネット上で知り合った人であり、私とは一度も現実で会った事がない人だった。だが、その人は私の書いた言葉と私の雰囲気だけで私を愛してしまったと言っていた。それはとても深い愛情で、その人の愛情は本物だと私に思わせる程の感情だった。確かに私がその人に好かれる言葉や雰囲気がこの身内にないとは言わない。多少は誇張していただろうが、私は嘘は書いてはいなかったからだ。その時その時に書かれる言葉は私の正直な気持ちであり、私は決して嘘は書いていなかった。だが、その人は私の現実を恐らく受け入れることは出来ぬだろうと確信を抱いていた事も確かだ。それは何度か伝えた事もある。しかし、その人は己の気持ちに絶対的な自信を持っていた。それもあり、私は覚悟を決めて、その人の幸福の為だけに存在しようと決心したのだった。その人が現実で本当の幸福を掴むまで、それまで私はその人の為だけに存在しようと。


今はその人は私がいなくても生きていけるようだ。少し寂しくもあるが、これでよかったんだと私は思っているよ。


ところで「セックスが愛の終着点」という言葉を見かけたが、そうだな、私にはどんなに愛しても手を出せない相手がいるので、私にとってもセックスは愛の終着点とも言えるかもしれない。その人とセックスが出来た時、私の愛は成就するわけであるのだからな。だが、永久に私には終着点は来ぬだろう。