自分のこととか他人のこととか関係ない

随分と昔のことだ。その人は友人と二人で雨の中、ずぶ濡れになりながら踊っていた。私がその人をじっと見つめているのを知ってか知らずかわからぬが、私は楽しそうに踊る二人を見続けていたのだ。その時、とある歌が頭の中に浮かび、二人を見続けている間中、その歌声が頭に響いていたのだ。その話を後に大人になった時にある人に話したら「それはあなたのことではないのか?」と言われたのだよ。その後すぐにその人と袂を分かつこととなり、結局はどうしてその人がそう思ったのかは聞けずじまいだったのだが。恐らく、その人は私が自分の体験を他人の体験のように語っていると思ったのではないかと推測した。思えば、その別れた人に「あなたは自分語りを自分語りと思わせないようにしてるんだね」と指摘されたことがあったからだ。確かに、時に私はそういった話し方をすることがあった。勿論、すべてではないが。ただ、自分語りを否定する人々がいるということを知り、それでは今まで私が自分語りをしてきたことを一定数は見っとも無いだの、そんなことを他人に聞かせるべきではないと思っていた人もいたのかもしれないのだなと思ったら、流石の私も自分語りを躊躇するようになったわけだ。そういうことで、今まで思う存分自分語りをしてきた私が、突然、他人がこう言ってたとか、こんなことがあったそうだよとか、そんな話ばかりをするようになったのを不審に思ったんだろう。そして、その人は「自分の言葉で語った方がいい」と言い捨てて、私から離れていったのだ。

では、私はどうすればよかったのだ?

私は強くない。弱い人間だ。卑怯でもある。嫌われたくなくて本音も喋れないのだよ。そんな私に自分の言葉で喋れとはあまりにも無体な言い草ではないのか? いや、違うな。気にしなければいいのだ。誰が何と言おうとも私は私の思う通りに話せばいいのだ、と。自分の言葉で喋っていないと言われても、自分なりの自分語りをしていけばいいのだとな。

何時の時代も雨は降り続ける。あの時の二人は雨に濡れるのも厭わずにどしゃ降りの中を踊り続けていた。実に楽しそうに。もっと雨よ、降れとばかりに。私はその光景をずっと忘れられずにいる。何十年経っても記憶に残り続けているのだ。青春の煌めきとともに。