全てを受け入れてくれる人を求めている


「明日は明日の風が吹く - 私の糞面白くも無いブログを読んで下さる何処かの誰かに有難うと言いたい - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園」を読んで。


 だから「ブログやWEBの文句」を書いてある文章でも、それが文章として面白ければ私にとっては良い文章になるんだよね。別にそれだけじゃなくて、リアルについての不満や愚痴、泣き言……普通なら敬遠されるかもしれないような話題であっても、文章として読んで何か考える物があるならば、良い文章だと思う。


私の親しい友人にも、リアルでの不満や愚痴や泣き言満載の日記を書いている者がいる。それこそ、他人から敬遠されてしまうようなそんな内容が書かれてあるが、その人が書く物は私にとっては面白いのだ。だが、文章として面白いか如何かと言われれば、分からない。私以外の誰かにとっては、その人の書く物は面白くも無いようだからな。正直言って、私もその人の書く文章が文章として面白いか如何かは即答出来ぬ。しかし、それでも何故かその人の書く物は読みたいと思ってしまうのだ。そこに愚痴しか書かれてなかったとしても。それは何か考えさせるからとか、そういう事が無くても、だ。
yas-toro氏は自分語りについて書かれた御自分の他記事を文中リンクしている。其方を読ませて頂いて思ったのだが、氏のように自分語りを推奨して下さる人が一人でも居てくれるというのは、私や私の友人にとっては有難い事だなあと。


まずは思う事を色々と書いてみれば良いと思っている。いつかどこかで誰かが……その文章を待っていてくれるかもしれないから。


私や私の友人の書く物も、誰か待っていてくれるだろうか。勿論、私のブログをアンテナに入れて下さっている方々は、私の書く物を待っていてくれる事は分かってはいるのだが。私の書く物全てではないだろう。全てを待っていてくれる、そんな誰かに巡り合いたいものだな。それは私の友人も願っている究極の願いなのだ。