読むことにも快楽はある

「誰にも読まれなくても文章を書く - phaの日記」を読んで。

 

昔の事だ。ある人の創作物がとても好きでその人とウェブ上で仲良くなったことがある。好みも似ていて、私はいい関係になれそうだと思っていたこともあり、その人が創作のことで自己否定を日記に書いていたので、そんなことはないよ、あなたは凄いよ、と声をかけたことにより、関係が悪化してしまったことがある。どうやらその人は、他人の評価で左右される性質ではなかったのではないかと今は思うのだが、当時の私は本気で心配したものだった。この人はもう何も創作できなくなってしまうのではないか、と。結局はそんなことにもならず、その人は後にプロになった。矢張り、私が元気づけなくても成功する人だったわけだ。本当に私は見る目のない人間だと自嘲したよ。

 

pha氏は書くことには圧倒的な快楽があると言っている。そうだな。私の場合は書くこと自体には快楽があるとは思ってはいないのだが、書かれたものを読む時に快楽を感じるらしいので、読む為に書いていると言った方がしっくりくるか。昔、同士のような人がいたが、pha氏のように自分が書きあげたものに興味をなくしてしまうと言っていた人がいたな。その人は、たとえば日記や小説といった自分の書いた作品を読み返しもせずに平気に捨てると言っていた。私にはそれは理解できない気持ちだった。私は自分の書いたものを何度も読み返すからだ。そして、それを捨てられない。誰にも読まれなくても書くことには間違いないが、私の書くものは誰にも読まれないわけじゃないよな。少なくとも私自身は読んでいる。まるで他人が書いたものを読むような気持ちで、私は自分の書いたもの読み続けているのだ。快楽を享受する為に。