私はドーナツの穴なのだな


「23mmの銃口から飛び出す弾丸は あぁ、僕も何年か前に、全く同じようなことを考えてました。」を読んで。


 xuraさんのブログを読んでいると、こういう言葉がポロポロ出てくるので、すごいな、と思う。


凄くは無いよ。私の書く言葉は他人に言わせれば詭弁と取られても仕方ない言葉ばかりだと私は思っている。実際にその様に言われた事もあるしな。
だが、どんなにこじつけたような事しか言っていないと他人に言われようが、私は私の言葉を信じたいと思っているのだ。可能性の話をしたが、私は僅かな可能性しかないとしても信じたいのだ。
しかし、私はnijuusannmiri氏とは逆で「本当の自分」を以前はとても気にしていた。本当の自分を探して求めていた。そして、その私を誰かに丸ごと受け入れて貰いたいと思っていた。だが、そのせいで大切に思っていた人を深く傷付けてしまったものだった。だから、今は余り本当の自分というものに囚われ過ぎないようにしているつもりだ。


「本当の自分」というものは「ドーナツの穴」と一緒。「ドーナツの穴」は確かに存在しているけれど、ドーナツそのものがなければ存在しえない、不可分のもの。穴(=本当の自分)を取り出そうとして、周りのドーナツを取り除いてしまうと、穴もなくなってしまう。だから、本当の自分を知るためには、そこだけに目を凝らしていてもダメで、ドーナツ全体を見ないといけないよ、ということ。


そうだな。この私、つまり此処に存在するxuraというブロガーは氏の言われるドーナツの穴だと私は思うよ。そして、その穴を構成しているドーナツがxura以外の私。リアルでの私。或いはネット上で別キャラとして存在している私。それらがドーナツだ。全てが合わさって「本当の私」が出来ているのだな。その「本当の私」であるドーナツを全て丸ごと受け入れてくれる人を私は追い求めているのかもしれない。だが、恐らく見つからないだろう。受け入れるのは私自身でしかないと。受け入れてくれる人は居るかもしれないと信じてはいるが、今までの経験で信じ過ぎるのも危険であると、そう肝に銘じて置こう。