美しい言葉も罵倒も私には書けない


「メモ - 平成のブルース」を読んで。


 私的には美しいセリフで誰かを励ますのも、罵倒的なセリフで誰かを叱咤激励(あえて<激励)するのも、仲間作りの一環、コミュニケーションのひとつに見える。


私は美しいセリフが書けない。誰かを励ます言葉も書かない。罵倒も出来ない。叱咤激励もしない。ただ淡々と思った事、感じた事を書いていくだけだ。だが、美しいセリフだろうが罵倒だろうが、相手がどういった思惑でそういった文章で書いているか分からなくても誰かに聞かせたいというその思いだけは同じだろうと思っているよ。つまり私もコミュニケーションだと思っているのだ。そうでなければ誰かが見るだろうと思われる場所に美しい言葉も罵倒も書かないだろうからな。私はそう思っているよ。


【追記】moppara氏にコメントを頂いた。


恐らく、ブログに関する価値観や動機は、xuraさんともっぱらは共通するところが多いのだろうが、それを使って何をするか(何をしてもいいと自らに許可するか)が全く違う、ということを端的にあらわしているなぁ、と


氏が「全く違う」というその違いは私には分からなのだが、それは誰かが「それを使って何をするか」という事に私が興味が無いからなのだろうな。と言うか、何をしようがその人の好きなようにすればいいと思っているからなのだな。誰かを騙したければ騙せばいいし、何かを伝えたいと思うなら伝えればいいし、自分がしたいと思う事を好きにすればいいと私は思っているからな。


そして、私は淡々と書き続ける。それだけだ。