本当だと思えばそれは本当なのだ


「オトコのキモチ2 たまねぎ」を読んで。


私も「本当の自分」とは一体どういった自分だろうかと考えた事がある。webmugi氏が剥ぎ取っていけば本当の自分が出てくるのではないかと思ったのと同じで、私もそう思ったものだった。氏のこの記事に付けられたsuVene氏の「剥いでいるその皮自体」もまた自分であるという事も思ったものだったな。それはこれを剥けば本当の自分が出てくるのだろうと剥いでは剥いでいき、何時しか本当の自分は本当に出てくるのだろうかと迷いが出てくるその迷いも自分自身であるという事と同じではないかと私は思うよ。つまり、剥ぎ取る行為そのものに自身が表れているのだという考えなのだ。


虚飾をまとったまるごとが自分。
噛み潰せば苦みと甘みと目にしみるような想いを含んでいる。
そんな雑多な経験が重なり合った,それが自分。


「ほんとう」も「うそ」もない。


虚飾を纏おうが、纏っているのも自分だ。他人が見てその虚飾が嘘だったとしても、それは本人にとっては嘘ではない。嘘とは何時か本物に変わる可能性のある物なんだよ。可能性がある限り、それは嘘ではない。自分が本当だと思うものが本当で、嘘だと思う物が嘘なんだ。それでいいじゃないか。私はそう思っている。



木星や火星の春がどんな風になっているのかって?
遠い未来、其処には青い風が吹いていることだろう。
星々は歌い続ける。
変わらずに。