似た者同士

私の知り合いに子供を産んだことで知らず抱えていた病を発見でき、それを手術して治したおかげで将来的に癌にもなりうるところだったのを今でも元気に暮らしている人がいる。ただ、彼女曰く、それが果たして良かったことかどうかは何とも言えないということだ。彼女はもともと子供を産みたいと思っていたわけではなく、あたりまえに人は子供を欲しがるだろうという思いこみで、自分の夫もそうだろうと思い、不妊治療のすえに子供を授かったのだ。勿論、産んだ子供に対しては愛情も持っているようだし、大切に育ててきたようだが、最近の若者らしく、彼女の子供も親離れができずにニートまがいの生活をしているようだ。一応働いてはいるようだが、ちゃんと独り暮らしができるほどの稼ぎはないらしい。なので、親と同居なのだそうだ。そのうえ、彼女の家庭は姑も同居していて、要介護対象ということもあり、かなり大変な生活をしている。近くに住んでいれば何かの手助けもできるかもしれないが、それもできないので、もっぱら愚痴を聞いてやるくらいしかできず申し訳なく思っているのだが。

 

「たられば」の話をある人が書いていて思い出した知り合いの話だったのだが、彼女もよくそういった話をしていたな。彼女の父親はやはり彼女のことを心配して、妻が自分の親の介護で大変な思いをしていたことを鑑みて、自分の娘は親の介護をしなくてすむように長男には嫁がせたくないと思っていたらしい。なので、その娘は父親の思惑通りに長男は選ばなかったが、彼女の父親はそれでも何か勘のようなものを感じたのか、彼女の選んだ相手に嫁がせるのを渋っていたそうだ。結果、やはり、長男ではなく次男である彼女の夫が親の面倒を見るようになった。必ず長男が親の面倒を見るとも限らないわけだから、そういった状態になることもまったくないわけではない。なので、それは彼女も「話が違う」とは思わないとは言っていた。それに、彼女は夫を深く愛していて、彼女の夫も彼女に対して自分の親のことで負い目を感じているのか、かなり協力的な夫であるようだ。だが、それでも彼女は「それでもね、ときたま思うのよ。彼と結婚しなかったらとか、子供を産まずにいたら介護のこと心配する前に死ねたかもしれないのに、とか」と、たられば話をするのだ。どうしようもないと彼女もわかっていて、遣る瀬無いため息をつくのだ。

 

私からすれば、零細企業の平社員で、華やかにリッチに暮らす人生を送ってはいない「たられば」話を書いていたその人であっても「羨ましいな」とは思う。なので、恐らく、私のような暮らしをしている人間、或いは私の知り合いのような女性の暮らしであっても、どこかの誰かは「まだ自分よりマシだ。羨ましい」と思う人も出てくるだろうな、と。だが、高層ビルを見上げるその人に切ない気持ちを持ってしまう。あなたと私は似た者同士だな、と。そんなことを思ったよ。その人には「違うよ」と言うかもしれないがね。