幸せな夢を見ながら

昨日は楽しいひと時を過ごした。だが、ある時期から私は楽しい時を過ごしていても、心から楽しめなくなってきているように思う。いつも心の片隅で、次の瞬間、私の命はないのかもしれないと思うようになっているからだ。過去に何度か死にそうになった経験から、だんだんとそういう考えを持つようになっていったのだろう。

 

人は必ず死ぬ。死なない人間はただのひとりもいない。それは厳然たる事実であり、どうあってもそれは免れないものだ。子供の頃は身内の死に直面しても、どこか別の世界の話のような気がして死を死として感じてはいても、それほど現実めいては思っていなかったように思う。それより確実に感じている苦痛だけがすべてで、この痛みから逃れたくて必死だった。あの頃は、自分にも無限の可能性があるのだと信じられて、いつかきっと自分の思う通りの生活ができるのだと思い込んでいたからな。苦痛に絶望を感じながらも、どこか将来に期待を抱く事もそんなに難しいものではなかった。だが、やはり、時が過ぎていき、己が大人になってしまうと、私はそこらへんに転がる小石と変わらぬ、ただの普通の人間でしかないと気づくようになる。私には思い通りになるということはなく、ただ「その時」を迎えるまで息をする人形なのだな、と。

 

確かに私は私の人生においては主人公であり、「私」という物語は現実に存在している。ただ、その物語を読む人は誰もいない。もし、神という存在があるとしたら、その神は読んでいるかもしれないが、これだけ多くの主人公がいる物語をすべて神は読んでいるとは思えない。読む価値のある物語は大勢の者が知っている人物の物語だけだからだ。そして、いつか私の生が終わった時、私という存在はその存在さえも消失してしまう。最初からいない存在として、跡形もなく消えてしまうのだろう。それを思うと、とても虚しくて、今すぐ儚くなってしまいたいと思ってしまうのだ。私がここに存在することも無駄なことのように思ってしまうのだ。

 

そして、今日もまた夜眠りにつく時に「今日も無事に終わった」と呟きながら、幸せな夢を見れる事を祈る。最近では嫌な夢ばかり見ていてげんなりしているからだ。そのまま寝ている時に突然死したら非常に困る。そのまま死ぬなら、やはり幸せな夢を見ながら死にたい。幸せな夢を見るためには一日穏やかに過ごし、幸せな物語を読んで寝るのが恐らく一番効果的ではないかな。私はそう思うよ。