何も信じないから嘘は嘘のままにそのままでいて欲しい


「気まぐれクレーマー|とりもなおさず」を読んで。


 最後に、たまに、そのブログのコメントで、「嘘言うな」的な言葉を吐く人がいるが、別にどうでもいい
 そのようなコメントを書く人は、ブログに真実を求め、ブロガーは実名や身分証明書をブログに掲載しなければならない、と考える原理ブロガー主義者なのだろうが(彼が真実を書こうが、嘘を書こうが、「ブログを書く」という行為に対しては誠実だ)、彼はこんなにも我々をエンターテインし、狂喜乱舞させるではないか、それに何か不満があるのか?と思う


時たま、こんな事があるものかという記事を読む事がある。それを言えば、とても事実とは思えないものではないごく普通の日常的な日記を読んでもそれが本当にあったことなのだとは誰にも言えぬのだが、私もmoppara氏同様、そこに何が書かれてあろうが、己が楽しませて貰った物に対して、それがたとえ嘘であったのだと後に打ち明けられたとしても不快に思う事はない。かつて、書いていた事が嘘ばかりだったとカミングアウトした日記作者が詰られるのを目撃した事があるが、嘘であったとしてもその嘘で慰められ癒された事実を退けてしまうのは私に限り「それは違うのではないか」と思ったものだった。
ただ、嘘であったのだという事は決して明かすべきではないと私は考える。たとえ「それは嘘だろう」と言われたとしても、そして、誰が見ても明らかに嘘に違いないと思われるものだったとしても、何処吹く風を決め込んで、最後まで嘘を貫き通して欲しい。


所で、moppara氏が絶賛している「真性引き篭もり」であるが、更新がずっと止まっているようだな。


以前、「真性引き篭もり」内で読んだ「足跡依存症から抜け出した僕は、一生mixiなんてしないと堅く心に誓ったのでした。」には、切ない気持ちを抱いたものだった。それは私にも身に覚えのある事が書かれてあり、感情移入して読んだからだ。


あの日の僕は、幸せに包まれていた。
ブログを書き始めて良かったと初めて思った。


私にもあるよ。ブログと言うより、こうやってウェブで何かを書いていて良かったと、心底そう思った事がね。残念ながら、今のこのブログでは心底良かったと思えた事はないが、心底やっていて良くなかったと思う事もないので精神は安定している。書いていて良かったと至上の喜びを感じているその裏には、それに見合う程の壊れた関係という悲しい物語が潜んでいるのだ。そんな過去が私にもある。幸せと絶望の狭間で夢のように過ぎていった一時が。


一生mixiなんてしない。


彼は本当にmixiをしていないのだろうか。私はその言葉を信じていない。誰が証明してくれるのだ?彼が嘘を付いていないと。だから私は信じていないよ。