優しく騙してくれればそれでいい


「北の大地から送る物欲日記 - 情報を信頼しすぎてはいけない」を読んで。


 釣りを見破るのは簡単ではないにせよ、ウェブ上で書かれていることが果たして本当なのかを知るためのネットリテラシーを高めるのは重要だと思う。誰が見ても騙されるような記事だったら騙されてもいい、なんてことはないし。


何時もの如く、引用先の記事にほとんど絡まない自分語りをする。(笑)


私自身は釣りなど見破らなくてもいい、騙されてもいいという考えの持ち主だ。だが、勿論、騙されてはいけない場合もある。それは実際に利害が絡む場合だ。騙される事により、金銭等が動く場合は「騙されても良い」とは、流石の私も言わない。しかし、騙される事により、直接の利害が絡むわけではないが、精神的に苦痛を感じたという事については、私はそれ程重要視をしていない。
たとえば、あるブロガーが女だと思っていたら本当は男だったのだと知った時に被る傷心は、心がけ次第で軽減出来るからだ。人は「騙された。傷付いた」と騒ぎ立てるが、私にはその騒ぎ立てる気持ちが分からぬ。
極端な例かもしれないが、もし仮に、A(女性)が何かのトラウマで男とは話もしたくない、関わっても欲しくないと思っていた場合、Aと仲良くしたいと思っているB(男性)が、自らの性を偽って女として彼女に近付いたとしても仕方ないと私なら思うよ。ネットではそういう偽りが出来るからな。
いきなり男性として近付けば、信用もして貰えないとしたら、如何しても正直には「私は男だ」とは言えぬだろう。確かに、いずれは男である事は親しくなっていくにつれて分かってしまう事であり、その時に彼女が感じる「騙された」という気持ちは如何程のものかは察する事は出来る。だがしかし、もし、そこで彼女が騒ぎ立てたとしたら「では如何すれば良かったのか。彼が男として最初から接すれば相手にもしなかっただろう」と私なら言うよ。聞く耳持たずの時期には、どんなに正直に正しい行動をしたとしても聞き入れてはくれぬ者が居る事は、私も過去に嫌というほど経験している。だから、微妙に嘘を交えて相手と接してしまうわけだが、それさえも「騙したのだな」と憤られても困るのだ。


私とあなたの過ごした日々を思い出してくれ。私は確かに嘘を付いていたが、あなたを傷付けようとして付いたものではなかったのだ。全てはあなたに笑って貰いたかっただけ。世界中で一番不幸なあなたを私のこの手で幸せにしてあげたかっただけ。それは自己中心的な偽善な気持ちだったのかもしれぬ。だが、そうじゃない者などこの世にいるのか? 私は信じぬ。私はあなたと過ごした日々で救われたし、あなたも救われたと言ってくれた。その事実だけは曲げられぬ真実。その前には「騙された」という気持ちなど起こりよう筈が無いのだ。世界中の誰もそう言わなくても、私だけは言うよ。たとえ誰かに嘘を付かれ騙されたとしても「傷付いた」とは。それが私だ。誰に騙されようが嘘を付かれようが「傷付いた」とは言わぬ。それが私だ。それが私なのだよ。