なりたい自分になるために

ネット上で何かを書いている様々な人々で、文章が上手とか雰囲気があるとか、そういった魅力的な人たちは、恐らく他人から真似される傾向があると思う。私の知っているネット上のとある人物で、一部の人々から魅力的な人と思われている人がいた。それだからか、その人と知り合いになりたいとか、その人のようになりたいと文章や雰囲気を真似されるほどだったが、たとえその人を真似たとしても、結局はその真似した人は真似した相手にはなりえない。私も過去に、とある人を真似ていると糾弾されたことがあるが、その糾弾した人は知らない。実は真似していると言った相手は私自身であるということを。もちろん、人物像は別人という設定をしていたから、相手はそれを知らないわけで、似ていると思ったのなら「真似している」と思ってしまってもしかたがない。もっとも、私も真似しているという設定のもとでその人物になりきった体で文章を書いたのだから、してやったりではあったのだが。ただ、そういったような性悪な人間もいないわけじゃないのだから、脊髄反射で他人を糾弾することは危険ではあると思うよ。なので、私もこの人とあの人が同一人物のようだとは公では言わないようになったものだった。それを公言するのは、自分が如何に馬鹿者かと言っているのと同じだからだ。

私は人物像を設定してなりきるというのは悪い事ではないと思っている。なりきること自体は誰かを傷つけることではないからだ。他の人はいざ知らず、私は設定した人物像に「なりたい」と思うからなりきるわけだ。これが不思議と自分に身についていく経験をしてきたものだから、だから私は悪いとは思わない。とはいえ、そのからくりを知った誰かはそのことだけで傷ついたと思うこともあるだろう。しかし、それで傷つかないという人も必ずいるのだから、傷つく人はそれだけの人ということに過ぎない。

なりたい自分になりたいのなら、そういうやり方でなれることもあるのだよ、と、私はそう思っているよ。