真似をしているわけではないが真似をしているとも言える


「木を見させて、森を見せさせず、論法|とりもなおさず」を読んで。


 しかし、例えば、読んでいる方が、山田優と同じ時計を偶然、山田優が愛用しているのを知らずに、していたとする
 それを、身に付けているのを、知り合いが見て、山田優のと一緒かよ、ツマンネ、主体性なしかよ、とか言われたら、いやいや、山田優、好きだけど、山田優だけが、時計をはめるために存在してるわけでも、その時計を買えるわけでないし、ましてや、はめてるの知らないし、ってなると思う


たとえばこうも言える。私が書いているこの文体を誰か他の者が以前から書いていたとしたら、その誰かを知っている者にとって、私がこの文体で書いているのを見れば「物真似だ」と言うかもしれないよな。だが、私はこういった文体が書き易いから書いているだけであって、誰かの真似をしているわけではない。ただ、文体は真似しているわけではないが、言及のスタイルは好みのブロガーの真似をしていないとは言い切れない。私もmoppara氏と同じく、色々な文章やブログから刺激を受けている事は間違いないのだ。