迷惑どころか立派な情報源だ


「北の大地から送る物欲日記 - 自分の場所で発言するのに迷惑なんてない」を読んで。


 そういう感想を書いた記事を読む方としては、主観、客観によらず、より詳しく書いてあった方がありがたいですが、「面白い・つまらない」、だけだとしても、それが自分がその作品を見た感想であるのなら、価値はあると思います。


同感。


 逆にその作品を見てもいないのに、ああだこうだ語っているのにはあまり価値を感じません(多くのネット通販サイトでのレビューで感じること)


私はそういったものでも価値があると考える。


と、この様に一言だけの感想は、人によっては「チッ」とか舌打ちして何処かへ行かれてしまうのだろう。(笑)
だが、たとえば、私が「面白かった」「詰まらなかった」というだけの感想を見たとしても、それを書いた者が私にとって特別な存在の人間だった場合、それは私にとって価値のある一言になる。どんな些細な事でもその人の感じた事を知りたいと思っていたなら、その一言だけでも聞きたいと私は思うからだ。とても強くな。それはその感想の対象への関心ではなく、その人物に関心を寄せているという事で、どういったものを「面白い」と感じるか「詰まらない」と感じるか、それも立派なその人の情報源となるからだ。
だから、人々は、どんなものでも書けばいい。私はそれを取捨選択するだけだ。何も問題は無い。