その気持ちだけで十分だ


「救えない ぐったりスイッチ」を読んで。


 誰かを受け入れる強さがあれば、と時々思う。困っている人を悲しく思って、助けてあげられればいいのだけれど、と思う。でもそれだけの強さを生憎わたしは持ち合わせていない。嘆いている大切な人をわたしは救えない。


昔の事だ。私にも助けたいと思った人がいた。私がその人を受け入れさえすれば助かるとわかっていても、私には受け入れる事が出来ない理由があり、その人の嘆きをただ見詰めている事しか出来なかった。私には血の涙を流す資格は無く、ただ乾いた目で見詰め続けるしかなかった。助ける事が出来ない事を悲しく思っても、私には涙は許されぬ事だったのだ。そんな私に「その気持ちだけで十分」と言ってくれた人も居る。自分を受け入れて欲しいと嘆いていた人とは違う人だが、その人は「あなたが救いたくて救えなかった人もそう思っていてくれるはず」と慰めてくれた。そうだろうか。そうだと言いのだが。だが、私にも「その気持ちだけで十分だ」と思える出来事があったな。過ぎる日に、私自身も言われた事がある。「あなたを救いたい」と。しかし、私を救う事は誰にも出来ない事だった。私は私の悩みを誰にも打ち明ける事が出来なかったから。そんな苦悩する私に声をかけてくれた人が、同じように「あなたを救いたい。けれど、私にはあなたを救えない。それが悲しい。それが辛い」と言ってくれ、私はその人に「その気持ちだけで十分だよ」と答えたのだと。だから、きっとその気持ちは相手に伝わっていると思うよ。私はそう信じているよ。


 午前2時半の着信を無視していたら午前5時半に酔っ払いが家に上がりこんできた。わたしは流される弱さしか持ち合わせていない。


私もよく泥酔してしまい他人に迷惑をかけてしまうのだが、申し訳ないとは思いつつ、迷惑をかけてしまう人に再び甘えてしまうのだろうな。私に甘えられてしまう人はその存在だけで私を救っているのだろう。私はその人に迷惑ばかりかけているが、私の存在で救われていると思ってくれているだろうか。そうであると祈りたい。