幻想の優しさ


「読みたい。 - ひびのき」を読んで。


「ありがとうな気持ち - のきにっき」を読んだ。まず最初に筆者に「有難う」の言葉を送る。私のあなたへの言及記事があなたに受け入れられた事を嬉しく思うよ。このように誰かの心に深く刻まれるようなものを書けた。それだけで私という人間の存在価値が見出されるというものだ。

深く刺さるという事は悪い事ばかりではない。その受け取り方と反応の仕方でその人にとって良い方向へ向く場合もある。私は刺さるものを書いてしまう者よりも受け取る側の受け取り方で揉め事の大半はそれほど最悪の状況にはならないと思うのだ。

確かに、書かれている文章だけでは、その人がどのように受け取ったのかを証明は出来ない。「有難う」と書かれていたとしても、それを感じられない事もあるだろう。中には悪意を持って「有難う」と投げかけている者もいよう。それを知る術はない。「有難う」を言った本人にしか、それはわからないからだ。だから、その言葉を信じるのも信じないのも投げかけられた相手に委ねられる。たとえ悪意から発せられた耳障りの良い言葉だったとしても、私はその人を信じたい。後に裏切らていたのだと知ったとしても。私は信じ続けるよ。お目出度く愚かで馬鹿な人間だと蔑まれようとも。私も誰かを裏切った過去がある。それを許してくれとは言わないが、私は私を裏切った誰かを許したい。



その人と出逢い、別れ、何時の日かまた逢えることは決してないことはわかっている。だが、夢にまで見たのだ。その人との出逢いを。私が向けた悪意をそのまま受け取り去っていったその人を。その真意をわかろうともせずに。いや、そうじゃない。わかっていないのは私の方だったのだ。最初から私たちはわかりあえることはなかった。そんな歪な関係だったのだから、当然の結果だ。これからも私は誰かの書いたもので心抉られ続けるのだろう。そこに書いた者の幻想の優しさを感じつつ。書いた当人にとっては不本意だと感じることもあるだろうがな。