困った顔より笑った顔が見たい


「瑣末な逡巡 - のきにっき」を読んで。


このような記事を書いてしまうbaonoki氏は真面目な方なのだろう。反論は認めない。真面目でない者はこのような記事は書かないと私は思っているからな。だから、氏は真面目なのだ。


私も自分が誰かの書いた物を取り上げたりコメントをつけたりしたせいでブログを閉鎖されてしまったり、不快感を表明された事がある。一時は私は誰かの書いた記事を取り上げない方が良いのではないかと思ったものだったが、今はたとえ相手に嫌われようとも不快に思われようとも閉鎖や削除をされようとも取り上げたいと思ったら取り上げて書くことにしている。


それくらいで削除してしまうのなら書くなと言わんばかりに。


実は、baonoki氏もブログを閉鎖してしまうのではないかと思ったことがある。そんな危うさを感じさせるブロガーだなと思ったからだ。だから、本当なら私のような者が取り上げるべきではないのだろう。だが、最近では本当に私に書かせる記事を見つける事が少なくなってしまい、少しでも「これで書きたい」と思ったら書くようにしているので、如何しても氏の記事で自分語りをしてしまうのだ。


氏は「嬉しいけど、舞い上がっちゃって、緊張しちゃって、結局かたい言葉で応対しちゃうひと」とご自分を評しているが、私はそうは思わぬ。氏は「かたい言葉で対応」などしていないと思うよ。それを言うなら、私の方こそ「嬉しくて舞い上がって緊張しているくせに、硬いどころか偉そうな言葉や横柄な態度で対応してしまう人」だ…ここは笑う所だよ。(笑)


何処かで誰かが笑っている。こんな可笑しな奴がいるよ、と。だが、それでいいと思っている。私は人々に笑って欲しいと思って何かを書いているのかもしれない。私はそれだけ人々の笑った顔が見たいからだ。そして、それに満足して私も笑いたいからだ。誰かが言っていたが、笑いは人を救うのだ。だから、一日一度は笑ってみて欲しいと私は思っているよ。


【追記】「他愛ないけれど - のきにっき」を読んで。

君は今日も笑っているかい?
君のような人がいるから私は救われる。
有難う。本当に有難う。
今夜は君に救われた。
これからも春の温かみのような笑顔で笑っていて欲しい。
いや、実際に君の笑顔を見た事はないのだが。(笑)