ずっと書き続けて欲しい

「「その人にしか書けないこと」は、「日記」とか「何気ない日常の記憶」だけなのだと思う。 - いつか電池がきれるまで」を読んで。

 

fujipon氏の存在は確か「日記才人」で知ったと覚えている。氏の書かれる日記が好きでよく読んでいた。私自身は他人の書くブログ論めいたものを好んで読んでいたのだが、他人の日常的な日記もブログ論同様に好んで読んでいたな。私は「物語」を読むのが好き過ぎるので、他人の日記も小説のように読んでいるのだ。時には小説や日記の中に出てくる一文で救われることもあり、或いは新しい価値観と出会ったりして、それ以降はまるで生まれ変わったかのような気分になったりもしたものだ。とはいえ、私自身は「日常の記憶」はほとんどここには書いていない。何とも不親切な奴だと思っている者もいるだろうがな。

 

私の親は私が「書いている」というのを心から喜んでいたな。しかも、自分のどんなことでも書いて他人に読まれてもかまわないと言っていた。自分の死さえもネタにして書け、と。そういった言動をする人間は少なからずいる。小説や日記に自分のことを書かないでくれという人を否定するつもりはないが、書かれても平気な人もいるのだということを知って欲しいと思うよ。書く人を不謹慎だとか、信じられないとか言う人がいるが、肯定派である私からすれば、何故書かれたくないのか、その心理がわからない。恥ずかしいのか、注目されたくないのか、恐らくそんなところなのだろうな。まあ、せいぜい、書かれないように書く人間から離れるしかないと思うよ。もっとも、それが家族であったなら、なかなか離れるのも難しいかもしれぬが、本気で嫌だと思っていたら、絶縁してしまえばいいことだ。つまりそういうことだよ。

 

そして、fujipon氏にはこれからもずっと書き続けて欲しい。其処でずっと。

 

【追記】

 

本日(2022/8/10)「もう読んでくれる人がいなくなって、話題にも、お金にもならない『ブログ』というもの - いつか電池がきれるまで」を読んで、最後に自分の名前が出てくるとは思いもしなかった。今日の私にとってfujipon氏からのコールはとても意味のあることであり、あなたは私の心を救ってくれた。明日からまた私は頑張れる。まだ私は大丈夫だ。闇に飲まれることはきっとないと自身を信じられる気がするよ。本当に「ありがとう」という言葉は良い言葉だよな。私にもその言葉をかけて下さる方がいるということは、私もそこまで最悪な人間ではないのではないかと思ってもいいだろうか。そんなふうに思ったよ。こちらこそ、心から有難うをあなたに送らせてくれ。