どんなものでも面白い物は面白いのだ

「太閤加速 - スピード楡男」を読んで。


日記は、身辺の具体的なことが書いてあるほうが面白い、と最近は思う。より正確に言えば、必要な情報を包み隠さず、自らの思考や心情を素直に、書いた(であろう)文章がよいと感じる。やはり、虚飾はよろしくないと思う。それは虚飾が面白さでは真実(とまあここでは言ってしまいますが)になかなか勝らないからかもしれない。たんに僕が具体的な現実をひとより欲しているのかもしれない。具体的な情報があるほうが、言いたいことはずっと理解しやすくなる。一般論ばかり語ってる自分は、だから、だめだ。顔の見えるインターネットに!。



楡氏の書かれる日記は全てを読んだわけではない。だが、幾つか読んだ内容は確かに日記といわれる内容を書いていると言える。私も氏の言われるような日記を読む事は好きだ。だがしかし、同時に虚飾された内容であっても面白いと思うし、虚飾が真実に負けるとも思っていない。もっとも、ウェブ上に散乱する書き物で真実であると謳われているものが本当に真実であるか、それとも虚飾であるかなど、誰にもわかりはしないのだ。だから、書かれていることが真実であるか、虚飾であるかは、面白さには全く関係しないと私は思うのだ。


最近ではなかなか他人の日記を読む事が難しくなってきている。時間がないということもあるのだが、恐らく精神的に余裕が無いのだろうな。心が疲れていると活字を見るのも苦痛になるようだ。読みたいと思う人の日記も読めぬのはつらい。今宵は静かな曲を流しながら月でも眺める事にしようか。就寝する前の僅かな時間に。