「逃げちゃ駄目だ」と誰かは言ったとか(笑)


「鼻が赤くなりにくいティッシュです - 「嫌い」と思うことが嫌い」を読んで。


どこが嫌いなのか考えるのも不愉快


私は小説を書く者の気持ちは分からぬが、小説を書く人間はプラスの感情もマイナスの感情も考えなければならないように思っていたのだが、違うのだろうか。feather_angel氏が小説を書く方であるというのは私の思い違いだったのか。それとも、そういった感情を突き詰めなくてもそれなりに小説とは簡単に書けるという事なのだろうか。だが、何処かで見たが、覚悟が無いと小説は書けないとか? 尤も、覚悟が無くても小説など書けるのかもしれないが。矢張り、作家の気持ちは私には分からぬ。


コメントでmind氏も書かれているが、嫌いな人物から学べるメリットを私も考えたいと思っているよ。全ての感情を体感する事だ。逃げていては良い物は書けないと私は思っている。


【追記】はてなブックマークでfeather_angel氏よりコメントを頂く。


小説のネタにできる事は全ておもしろい事だと認識。ネタとして昇華できないから「嫌う」事が可能。


ネタに出来る、つまり、私で言えばブログの記事で書ける事は全て面白い事であるというのは理解出来る。だが、ネタに出来ない、つまりブログの記事に出来ない、言及出来ないからといって私は「それを嫌う」という事はない。勿論、ある人物の発言が気に食わないとか、どうもいけ好かないという相手もいないわけではない。なるべくなら接触するのを避けたいと私も思うのだが、如何しても付き合わねばならぬとしたら、諦めて嫌だという感情を捨ててしまう事にしているよ。勿論、これは私のスタンスであり、他人に勧めるわけではない。私は己のストレスさえもプラス方向に持っていきたいと考える人間であるのでな。(笑)