適度な感情が垣間見れる文章


「Blog向上委員会 感情のある文章」を読んで。


 最近、インプット量が増えすぎて何も書けない状態に陥っている気がしてならない。RSSで数百件の記事を流し読み、結局、何も得られない状態が続いている。何も沸き起こってこないのだ。「できるだけ細かくその記事、文章を読む、そして考える」、そうやってアウトプットってされるのかな。


mizuno氏も私と似たような状況であったのか。私は、たとえ流し読みとはいえ数百件の記事を読むだけの時間もないのだが、それでも時間が許す限り興味の持てそうな記事を読んではいる。だが、最近ではなかなか自分語りが出来なくなっていた。氏は、書かれている文章を細かく読んでよく考えれば書けるのだろうかというような事を書いているが、私の場合はそうすれば書けるというものでもないようだ。少なくとも私が思わず書いてしまう場合は、脊髄反射的なものであり、氏が書かれたこの記事を読んだ事で、瞬間勢いに任せて書くというのが私にとってのアウトプットなのだな。私はそうやって書く事でしか書けないようだ。


所で、氏は「あなたの書く文章には感情が無い」と言われたそうだが、その言った相手はどういった意図でそのような事を言ったのであろうか。相手に対して「感情のある文章を書いて欲しい」と思ったからそう言ったのであろうか。確かに、私も感情のある文章は好きではあるが、それらを徹底的に排除した文章も好きである。感情がある文章だから、感情を排除した文章だから、だから全て良いのではなく、矢張り自分の好みだから読むというのが私だけでなく他の読者達も同じだろうと思うのだが。私にとって、氏はそのままで良い。氏の書く文章は感情の無い文章ではない。適度に感情が垣間見れる文章であると私は思っているよ。どうやら、yas-toro氏も似たように思ったらしいしな。


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