病み上がりの書く文章は如何かな?

既に消させて貰ったが、ブログに掲載していた最後の記事に幾つかのブックマークがついている。あの記事を書いたのは誰であるか、此処で語るのは野暮というもの。たとえ、あれは私が書いたのだとしても恐らく誰も傷つかないだろうから、あえて筆者が誰であるかは積極的には書かない。とはいえ、確かにkuroihikari氏が書かれている通り、死という相当シリアスな内容であるから、本当は生きていたのだと告白するのは性質の悪い冗談だと指摘される事だろう。だが、死にそうになったことは確かな事で、そろそろ私もネット世界から足を洗うべきかとあの頃思うようになっていた事もあり、死にかけた事をきっかけにネットでの私は死んでしまおうと思ったのだ。


もともと、ズーラという名前でブログを書こうと思ったのも、読んで欲しい方に読んで貰う為、ブックマークを欲しいと思った方にブックマークをして貰いたいが為、その為だけに書き出したのだ。そして、それを果たしたのだから、何時やめてしまってもよかった。目的は達成したのだから。だがしかし、書く事で、新たな絆が出来、こんな下手な文章でも「好き」と言って下さる方々まで出てきて下さって、多少の欲が出て来てしまった。私の書く物を楽しみにして下さる方々の為に書いてみようかという、そんな欲が。だから、私は書き続けた。所が、死にかけた事で、少々精神的に危うくなって、暫くは何かを書く事を封印した方が良い、やはりそろそろ潮時だなとなり、私は書く事をやめた。


しかし、またこうやって書いている。とはいえ、以前のようにはもう書けないのだが。書くという行為は書き続けないと書けないものなのだ。現に、私は以前の書き方を忘れてしまった。今の私の文章を読んで、これは本当にズーラさんの書いた物なのだろうかと思ってしまう方も出てこないとも限らない。削除した記事を書いた人物が書いていないとも限らないと思う方もいるだろうからな。これはもう読んで下さる方が信じて下さるか如何かにかかっているわけだ。そして、たとえ信じて下さらなくても私には何も言えぬ。信じてくれとは。


それにしても、私が一体誰であるか、以前、何人かの方がご自分の場所で書かれているのを見たことがあるのだが、此処に言っておこう。その何人かの方の一人が書かれていた事は真実だと。


その通りだよ。あなたの言う通りだった。勿論、いずれはわかってしまうだろうと思って様々な伏線は張っていた。所が、意外にも誰も私を詮索する人は出てこず、結局はこのままの私で書き続ける事になってしまった。恐らく、私は疲れてしまったのだろうな。だから一旦リセットしたかったのだ。だが、矢張り戻ってきてしまった。もっとも、昔のように精力的に活動は出来ないのだが。それでも、これからは無理のない程度に書いてみようと思っているよ。それでも良ければ読み続けてくれ。