許さないという救いもあるよ


「宗教なしにどうやって彼女を救うか - 「で、みちアキはどうするの?」」を読んで。


で、いったいおまえはどっちの世界に住んでいるのか、ですか? 投げたコインは必ず裏か表が出ると、そうお考えでしょうか。バランスを取って縁で立つ奴も、もしかしたらありはしませんかね?


常にゼロか百かで生きていると言っていた人がいた。その人は己を裏切った相手に対してもそれを提示して決して許そうとはしなかった。そして、相手はゼロか百の世界で生きている人ではなかった為に、二人の間に歩みよりはなかった。頭では相手の居る世界を理解することは出来ても、それを受け入れる事は出来ぬ。受け入れられるという者もいよう。だがしかし、決して受け入れられぬという者も存在する。その多様性が人間なのだという事なのだろうな。


許されたくて許されたくて、精神を壊してしまいそうになりながら己の罪を悔い続けたその人のその相手が、michiaki氏のような人であったのなら、その人は救われただろうか。いや、救われなかっただろうな。他の誰がその人を許してもその人は救われず、許して欲しい人に許されたいと思い続けたその人であったのだが、許されたい相手に許されたとしたら、その人は再び相手を裏切っただろう。一度裏切ったらおしまいだと思う事。次の誰かを今度こそは決して裏切らない為に、その人は許されるべきではないという事。許さない事にはそういった理由もあるという事。それを忘れないで欲しいと私は思うよ。


何でも許すことは優しさではない。ましてや救いにもならない。決して許さない、それが救いに繋がる事もあるのだ。