命続く限り書き続けよう

「ブログという長すぎる遺書、あるいは往生際の悪い存在証明について - いつか電池がきれるまで」を読んで。

 

fujipon氏は50代となったのか。私も似たようなものだよな。氏の存在を知ったのも随分と昔のこととなったしな。氏はずっとその場所で書き続けている。それに対して私は此処で書き出してから確かに長くなったとは思うが、現在は諸々の問題でなかなか書きたいと思った時に書けない有様だ。それは仕方ない事なので、半ば諦めの境地に至っているのだが、それでも此処の存在を消すことは出来ぬ。かつて、一ヶ月に一度でも書き続けて欲しいと誰かに言った事があったが、それを言った本人が出来ていないというのも何とも情けない事だ。

氏は一応匿名で書いているとの事だが、それでも職場の人に読んでいるという言葉を貰ったようだ。私は一度もないな。勿論、ズーラとしての私の事だが。とはいえ、時々、ネット上で知り合った人に「読んでいる」と云われた事がある。ズーラとして接していない人にだがね。わかる人にはわかるものなのだな。それはそうだ。私は記事内で匂わせるような文章を書くことがあるからな。さすがに現実での知り合いには気づかれたことはないと思うのだが、これも相手は知ってて言わないでいるということもある。

氏はプログを書いてきて嫌われてきたとか書いているが、それは直接か相手のブログとかコメント等で「あなたが嫌いだ」と言われたからそう言っているのだろうか。私は過ぎる日に直接言われたことがある。もっとも、それはコメントやメール等で「嫌いだ」と言われたことではあるのだが。時に人は嫌い嫌いも好きのうちといった天邪鬼的な言動をすることもある。なので、嫌われていると思っていたら実はそれは好きの裏返しだったということも少なからずあるのではないか。ということで、氏の場合もそれほど嫌われているとは限らないのではないかとも思うよ。まあ、納得は出来ぬとは思うがね。私は他人に好かれる人間ではないという自覚はあるので、私に対して「嫌いだ」と表明してきた人々は間違いなく私を嫌っていると確信している。各々の嫌がる事をし続けてきたようなので、そうか、その人はそういうことをされたり言われたりするのが嫌いなのかと良い経験となったものだった。だが、それでも私は言いたい事は言うし、したいことはし続けてきたのだがね。本当に最低な人間だよな。

「そんなの何の役に立つの?」とfujipon氏は書いている。それに対して「わからないよ」「たぶん他者の役には立たない」と返していて、一連の対話は本人の心中で交わされたものだろうと推測する。それでも、氏の書く物は、少なくともご自身にとっては役に立つというか、意義のあることだと思うよ。私の昔からの友人も誰かの書いた介護の日記を読んで「私なんかまだマシだ」と書いてくれた人に感謝していたな。だから、氏もこれからも命ある限り、其処で書き続けていって欲しい。私も全く欲に立たない物を書き続けていっているが、もしかしたら何処かに私の書く物で少しは救われていると思って下さっている人がいると信じて、毎日は無理でも書き続けていくことにしよう。あなたという存在を身近に感じながら。