吐いて吐いて吐き捨てられた掃き溜めのようなブログ


「Discommunicative - ブログ論と「ふつうの日記」(メタによる融合について)」を読んで。


todesking氏が挙げている下らない内容と言われる文章なのだが、下らないかそうでないかは誰にも決められない。氏が挙げている文章より、私が此処に書いている文章を下らないと言う者もいるだろうしな。


「わははは、入試試験終わったwwwwwww人生もwwwwいやいや。
まだ明日の面接が残ってるけど、短時間でどうでもいいようなことしか聞かれないからまあいいや。俺の夏は終わった(^^;ワラ
20日が合格発表なので、それまでせいぜい受験者の半数が死ぬことでも祈るとしよう。
というか学会発表の原稿締め切り来週……。まだ忙しい日は続きそう。」


氏に対して非常に関心を抱いている人物がこれを読んで思う事「そうか、入試が終わったのだな。だが、まだ面接が残っているらしい。緊張しているのだろうか。いや、そうでもないらしい。しかし、合格発表までその他のライバルがいなくなる事を祈っているという事は、かなり切羽詰った状態なのかもしれないな。しかも、原稿の締め切りまであるという事は、忙しくてメール等を送っても忙しいからと言われてレスも後回しにされてしまうのだろうか」と、色々と考えさせられるという事で、氏に関心のある人にとっては下らない内容ではないのだ。


私もかつて、誰も読みに来ない内容の日記をつけていた事がある。今でもウェブ上の何処かに漂っている文章でもあるのだが、一度か二度程リンクしているブログからリファラが飛んできた事がある位で、検索から飛んで来る事も一度も無いという内容の物しか書いていなかった。日常での不平不満を書き連ねただけの他人にとっては恐らく有用でも何でも無い物だと私は思っている。だが、それさえも、私自身に強く関心のある人間なら読みたいと思うことだろう。一人もいないという事は無いと信じたいしな。(笑)
一年近く綴っていたか。其処はアクセス解析が付いているブログなので、本当に一人か二人しか訪れた事が無いのだ。よく書き続けられたものだと思うが、実は今でも時々其処に綴る事もある。私も一応現実世界で生きている人間であるので、日常の不平不満は無い訳ではない。如何しようも無い思いに駆られる時に殴り書きするのであるが、最近ではそういう行為も随分と減ったものだ。少しづつ心も落ち着いてきて老境に入ったと言うべきか…まだ早いかな。(笑)


誰も読んでいない文章でも公共の場にアップロードするということ自体がチラシの裏に書き散らす文言とは別のセラピー効果を生むことは多くのブロガーが経験していると思う。したがって、そのことばは発せられなければならない。


私もその考えに賛同する。だが、氏の言われているように「その発信が自分のプライドを傷つけないような形状で」である必要は無いと思う。私の場合は「この私」から完全に切り離して綴る。プライドなどかなぐり捨てて書く事も私にとって癒しともなるのだ。
そのおかげで、だんだんとそういった文章から解放されつつある。矢張り吐き出してしまう事は大切な事だ。吐いて吐いて吐き出して、何も残らなくなるまで吐き続けて、空っぽになるまで吐き続けてしまいたい。


私の精神の掃き溜めのようなその場所は誰でもが見られる場所に存在するが、ほとんど誰も到達する事の出来ぬ場所。確かに何時か誰かが訪れる場所でもあるので、氏が言われるように誰かに読まれる可能性はあるだろう。「この私」が書いたのだとは誰も気付かないだろうがね。