直接言えないのなら黙ってろ

今まで好きだったサイトやブログが削除されてきたのを悲しい思いで見つめてきた。最近でも好きで読んでいたブログが更新できなくなったから閉鎖すると書置きをして暫くの後に削除された。どうして放置という形で残してはくれないのか、微かな憤りさえも感じていたのだが、とある人からメッセージが届いた。「あなたにはわからない」と。

 

その人はとあるサイトを運営していたのだが、長年サイトを運営してきて、最初はそれなりにアクセス数があり、だんだんと少なくなってきたとはいえ、コメントもあったのだそうだが、ここ数年はひとつもアクセスがなくなり、一人もサイトを訪れる人がいなくなったのだそうだ。そんなサイトを運営していくことに酷く虚しさを感じ、とうとう閉鎖をすることにした、と。そんな時、私が書いた誰が訪れなくても其処に存在してくれるだけでいいから削除はしないで欲しいという言葉に激しく憤りを持ってしまったのだ、と。

 

一人だけでもいいだと?

その一人もいない自分は誰にも存在を知ってもらえないのに?

ふざけるな。

あなたに何がわかる。

一人の訪れもないというのに。

 

その人のメッセージには上記のような呪詛が込められていた。勿論、上記の言葉が書かれていたわけではない。私が勝手にその人の気持ちを代弁しただけに過ぎない。恐らく、こんなものを書いた私に対して、再び非難のメッセージがくることだろう。それでも私はひどく感銘を受けたので書かせてもらう。私はそういう人間だ。私にメッセージを送ったことを後悔するかもしれぬがな。

 

アクセスがないということは確かに誰もそのサイトには訪れていないのだろう。だから、純粋に私はその人に謝罪したいと思うよ。申し訳ない。それでも私はそんなサイトであったとしても削除はして欲しくないとは思っているのだが。何時か、まったくアクセスのないサイトであっても誰かが迷い込んでくることはあると私は思うのだ。その時の為にも残していて欲しいのだがね。とはいえ「残して欲しい」と、削除する運営者に対して直接メッセージを送る人が果たしているだろうか。勿論、そういった猛者もいるだろう。だが、考えてみるに私はそれができない人間だった。消えていくのを悲しく見つめるだけで、そして、消さないで欲しいと固有名詞を出さずに恨み言のように記事を書くだけだったのだ。

 

直接相手に「消さないで欲しい」と言えない者が「消さないで」と言うことの傲慢さに私は気づけなかった。私には「消すな」と言う権利はなかったのだ。私は何と傲慢な人間だったのだと羞恥心を覚えたよ。

 

私も何時か此処を削除してしまう時がくるかもしれぬ。恐らく、突然死なない限りは、な。もし、此処を閉鎖することになったとしたら、誰か「ズーラさん、削除はしないで欲しい」と言ってくれるだろうか。それを知りたいと何となく思ってしまったよ。