有用ではない物を此れからも提供し続ける


「BLOG STATION:「常連さん」以外の読者はノイズなのか?」を読んで。


kanimaster氏のこの記事はfunamushi2氏の「heartbreaking.:アクセス数の超えられない壁に悩むより、一人の常連を大事にしよう」の言及記事であるのだが、これらを読んで思った事は、さて、私はどうだろうかと。


サイトを運営していた頃もブログを書き始めてからも、私はごく少数の方にしか支持をして頂けないタイプのものしか書けないと私自身は思っている。だから、どちらかと言うと、私はfunamushi2氏の意見に近い考えかもしれない。ただ、私は此れまで読んで下さっていた方が「詰まらなくなった」と見切りをつけて去ってしまっても今ではもう何とも思わないな。


しかし、「常連」以外のアクセスは、果たして「ノイズ」として切り捨ててしまってよいのでしょうか?


kanimaster氏のこの言葉はfunamushi2氏の常連以外のアクセスはノイズという言葉に対して発せられた言葉であるが、常連以外のアクセスというものはアクセス解析を付けていなければ出て来ない言葉だろう。例えば私のブログでは、そのノイズというものが分からない。確かに、恐らく何人もの方が覗くだけは此処を覗いているはずであり、それがノイズなのだということなのだろうが、私にはそれを知る術は無い。そして、知るつもりも無い。
だから、今はそういったノイズと言われるものに煩わされる事も無いのだが、私もかつてはアクセス解析をつけてサイト運営をしていた事もあり、ノイズなアクセスというものを気にしていた時期もあったものだった。


kanimaster氏が言われるように、その頃の私もそういった常連以外の方達を大切にしたいと思っていた。
だが、私に問題があったのか、一見や通りすがりの方々は決して常連となっては下さらなかったな。


検索エンジン経由の訪問者が、「常連さん」になることはほとんど期待できないと思いますが、それでも、何らかの情報を求めて検索をかけてきた方に対して、それなりの情報や、より有用なサイトへのリンクを提供することが出来れば、当ブログの役割の幾分かは果たしたことになるのではないかと思うのです。


この様な考えの持ち主であるkanimaster氏であるから「一見さん」と言われる方々にとってもアクションのしやすい人物像なのだろう。私には出来ない事である。私はそこまで愛想の良い人間では無いので。頭が下がる。


私は此れからも有用な物を提供出来ないテキストを書き続けていく事だろうな。とは言え、私が言及した記事が有用ではないと言っているのだと思われても困るので、私の書くテキストが有用ではないのだという事は忘れないで頂きたいものだ。


【追記】kanimaster氏の記事のコメント欄で「どんな常連も最初はただの一見さん」というコメントを見たが、私がブログを書くようになる以前のサイト時代では一見という認識は少なくとも私には無かった。
元々掲示板がネットデビューであった為に、思い立ってサイトを作った所、掲示板で仲良くなった方々が集う場所になっていった。というわけで「一見さん」という感覚は終ぞ感じた事がなかったな。ブログの場合はその様な一見と言われる人々が出てきやすいのだろう。そして、その「一見さん」が如何に常連と成り得るか、それがブログ主の手腕にかかっているという事か。


【更に追記】はてなブックマークで幾つかコメントを頂いた。その中でこの様なコメントがあった。


この方の書く記事は有用でしょ?(ただの謙遜かもしれないけど書いとく)


feather_angel氏がその様に思って下さると言うのなら、私の書く物も有用なのであろう。確かに有用か有用で無いかを決めるのは私自身ではなく、読んで下さる方だと私も思っていたな。とすれば、誰かにとって有用であろうとするのも無駄とは言わないまでもそれ程重要な事なのだろうか?
誰かにとっては有用でなかったとしても、他の誰かにとっては有用であるとすれば、己の信ずるままに好きなように書けば良い事ではないかな。
勿論、最低限、これはきっと有用であるに違いないと読者に配慮しつつ書く事も大事なのだろうが、私に限り、検索で辿り着く者にまで配慮は出来かねる。例え迷惑だと思われようとも、私は私の好きに書くよ。