美学に基づく主観の世界


「〔俺〕おれせん。 いち個人がWEBで語ろうとすることについての私見。」を読んで。


私も客観的な主張よりも書いている方の主観が読みたい。客観的なものを否定する訳ではないが「素晴らしく客観的に書かれたもの」は成る程という一言しか出て来ないので、正直そこまでで発展的な考えにならないのが少々不満になるかな。


 例えば道ですれ違った人に何かを滔々と語られたとして、聞く耳持ちます?


それが私の興味あるものだったとしたら、恐らく熱心に聞いてしまうだろうな。いや、そういう事をFTTH氏は言ってる訳ではないか。(笑)


ところで、FTTH氏のこの記事を読んでいて、つい先ほど読んだfunamushi2氏の「heartbreaking.:凡庸な個人ブロガーの苦悩する様が、評価される/サイバーテロ」を思い出した。


ブログ言及系の記事を読むにあたって、ある共通点に気付きました。


人々が求めるものは、理論整然としたブログ論や、成功論では無く、「苦悩する、個人ブロガーの思考過程」や、「今まさに苦悩し続ける凡庸な個人ブロガーの有りのままの気持ち」なのだと。


まさに、客観的に理路整然と書かれたものより、主観に満ちた等身大なものを書いているブログが良いのだと同じ事だよな。
とすれば、矢張りアクセスを増やしたい人間は、少々みっともない姿を見せるのも良いのかもしれない。だが、私は苦悩する自分など出したくない。好き勝手に書く事は書くが、共感される為に書くつもりはないし、アクセス数も気にしない。
funamushi2氏がご自分の美学に基づいて拘るのと同じで、私も私なりの美学に基づいて記事を書いているつもりだ。尤も、それは文字やリンク色等のデザイン面ではなく、文章に対する自分なりの美学ではあるのだが。


その人その人のしっかりとした美学で語られる主観の世界。それを私は好ましく思っているよ。