交流しなければ覚えられない相手は興味が持てないのではないかな


「Ladder to the Moon - 人間もブログも、やっぱり大事なのは中身」を読んで。


laddertothemoon氏は交流のあるブロガーであれば覚えるというように言っている。


 webという、他者を漠然としか感じられない場所で、「相手も人間」と意識するのは、やはり個人対個人の
直接の交流なのではないかな、と思う。


それは確かにそうなのであるが、私は違うな。勿論、私も交流のある相手は他の者より注目しているということで誰それであると覚える事はある。だが、私は全く交流の無いブロガーでも心の中では「やあ、また○○氏がこの様な戯言を書いているぞ」とか「何時も色気のある記事を有難う、○○氏」といったようにまるで旧知の仲のような会話を脳内で繰り広げているのだ。
それはもう相手ではなく自分がどれだけその人を好きであるかが重要であり、交流など関係ないのだ、名前を覚えるのにはな。私は自分が非常に我が儘な人間である事を自覚しているので、面倒な交流などしなくても自分が興味のある人物であれば覚えるし、覚えられない相手は興味が無いという事でその人の存在自体如何でもいいのだ。だから、私に限り、直接の交流は余り関係は無いな。


氏は私の文章を「独特」と評して下さった。他にも何人かその様に言って下さった方がいたが、私は私の文章が独特であるとは思っていない。この様な文章を書かれる方は他にもいるであろうし、何もそれ程珍しい文体ではなかろう。だが、私の書く物で心が落ち着くと言って頂けるのは嬉しいものだ。有難う。


 顔と名前をきちんと覚えられないのは、そんなに深い交流がないから。


という事で、一つ言って置くが、顔と名前が覚えられないのは交流だけの問題ではないよ。覚えたいという相手の顔や名前は覚える事が出来るものなのだ。交流しなければ覚えられない相手は興味が持てないのではないかと考えてみたまえ。無理をして覚える事は無い。すんなり覚えられる相手だけ覚えればいい。私はそう思うよ。