書くことは自分の人生を表現することだ

最近では四六時中読書をしていると書いたが、私の友人も同様に四六時中読書をしているという。友人は子供の頃から読むことが好きらしくて、同窓会等で昔の同級生には「お前はいつも何か読んでいた」と聞かされたそうだ。実際、一日一冊というペースで読んでいたらしく、卒業する頃には興味を持った図書室の本のほとんどは読みつくしたらしい。最近では、そんな昔話を持ちだして、そんな風に暇さえあれば、いや、暇がなくても読書をしていた頃の方が執筆は進んでいたなと言う。それを踏まえて、今の執筆状態はそんな子供の頃のようだと自嘲気味に笑っていた。「本当はこんなふうに憑りつかれたように読んでる場合じゃないんだけどね」と言いつつ。一時期、全く執筆ができない時期があり、どうして書けないのかが友人にはわからなかったそうなのだが、今思うと、友人にとっては他人の小説を夢中で読むことが執筆に良い影響を与えているのだろう。だが、その代わり、友人は長年書き続けてきたブログを書けなくなったという。それはそうだろう。小説の執筆もまとまった時間が必要であるのだから、ブログ記事を書くにもそれ相当の時間は必要になる。少なくとも私はどんなに短文だったとしても結構な時間が必要となってくるのだから、それは友人も同じだと思うからだ。人によっては別のことで執筆の原動力としている人もいるだろう。身体を動かす、とか。そういえば、昔こんなことを言っていた人もいたな、歩くと不思議と良いプロットが浮かぶとか。書くことは自分の人生を表現することだと誰かが言っていたが、本当にそうだなと私も思うよ。私も此処で自分の人生の一端を人々に垣間見せているわけだからな。どうかな、私のくだらない人生も、少しは誰かの役に立つとか、癒しになっているだろうか。そうであれば良いのにと切に願うよ。