それも日記だと思うよ

「日記は書かない、というか、書けない - 君は世界に一人だけ」を読んで。

 

「ノートに心のうちを書きなぐる」というlittleray氏であるが、これは私個人がそう思うだけなのだが、それもまた「日記」ではないかと思っている。私も日記と呼べるものは書いてはいないつもりだ。がしかし、それでも、今はこのブログも毎日は書いてはいないが、時々こんな風に誰かの書いたものを取り上げて自説を披露したりしているわけだ。これもまた友人から見れば日記と言えるらしい。その友人であるが、毎日のようにその日の出来事を書く日記をつけている、が、今は公開の場では書いてはいない。非公開の場所で書いていて、私はそれを読むことを許された者だ。他にも何人かいるようだが、それも書かれた内容がかなりネガティブなもので、なかなか公開することは出来ないということらしい。

その友人が言っていたことだが、日々の出来事を書くだけが日記ではないのではないか、その日に何かを見てか聞いてかで自分はこう思ったと、それこそ「心のうち」を書くことも日記というものではないのか、と。他にはその日の天気、三度の食事内容、それだけでも日記とも呼べるということを言っていた。つまり、友人は「その日に書いたものすべてが日記」と言いたいのではないかなと私は思ったのだよ。それがたとえ「小説」だったとしても、友人は「日記だよ」と言うかもしれないな。

友人は言う。今のこの辛い生活もいつか小説にしてやる、と。とりあえず疲れさせることを強いてる相手が死んでからじゃないと訴えられるから気を付けるように、とは進言しておいたのだが、もっとも、死ななくても書かれたこともわからない状態であればそれほど気にすることもないか。

 

【追記】

 

littleray氏よりコメント記事を頂いた。有難う。

 

「ちっぽけなアイデンティティとか - 君は世界に一人だけ」

 

「日記を書いてコンプレックスを払拭したい」というlittleray氏であるが、それで思い出したのが毎日ネガティブ日記を書いている友人のことだった。友人はその日記で自分の心を救っているのだと言っていたな。ともすれば、自分を苦しめる対象を排除するために犯罪に手を染めてしまうかもしれないという怖れを抱いている友人であるので、そのギリギリな精神状態を救うために、吐き出すかのごとく書いて書いて書き続けるのだということのようだ。まるで、自分の内面に巣食うドロドロとした闇をぶちまけるようなそんな感じなのだそうだよ。友人がキーボードを叩く様は、それはそれは鬼気迫るものがあると言われたことがあるとか。

 

日記に関しては、その人その人の考えとかもあると思う。なので、日記と定義せずに雑記としてずっと続けているその姿勢は私は称賛すべきことだと思っているよ。決して、ちっぽけなアイデンティティなんかじゃない。あなたは立派に「あなたらしさ」を遂行している。それは誇りに思っていい。

 

それにしても、そうか、800記事か。実はこの記事を更新した時に私も気づいて、少々口元を綻ばせたのだよ。思えば、昔、知り合いのサイトを訪れた時にキリ番を踏んでは喜んでいた時代があったなあと、その時の気持ちを思い出す。気づいて下さって有難う。