広辞苑を読む人

辞書や辞典を読書として読むという文章を見て思い出したのだが、以前、広辞苑を読物として読んでいると言っていた知り合いがいた、と。広辞苑のあの太さを考えると、確かにあれくらいの文章量の小説はいくらでもあるとは思うが、物語でもない広辞苑が果たして読物として楽しめるのだろうかと私なら思う。知識を覚えていくという点では、そういうのを楽しめる人にとっては何でもないことなのだろうが、興味のない事柄にはまったく無関心な私にとって、広辞苑を最初から順に読んでいく行為は苦痛でしかない。価値観の違い、趣味の違い、興味の対象の違いと言ってしまえばそれまでなのだが、私がひとつ興味を持つとしたら、広辞苑を読み続けていたあの人はどういった考えや思いを抱いて、広辞苑を読み続けるのだろうかということだろうか。今はその人はどうしているか知らない。