誤読付きでも構わないのなら長くても読むよ


「タルタルソースも空を飛ぶ無駄な文章なんてない」を読んで。


私はどちらかというと長文が好きだ。それもダラダラとした長文が好みだ。しかし、起伏があったり読ませる工夫が施してあったりすると鼻についてとたんに読む気が失せるがね。(笑)
勿論、興味がある記事に対してはこの限りではない。結局は読んでみなければ分からないという事で、どういった文章だったら読むかとは断言は出来ないわけだ。


 文章はみためが半分、いいすぎかもしれないがそうだろう。だとするとみためとして考えられることは「長さ」、「文字のみため」、「文章への工夫」だろう。あとの二つはあとからどうにでもなるが、問題は長さだ。思ったことを書き続けてると気づくと長くなるものである。しかも、その長い文のうち半分くらいが本筋とは直接には関係ない話となる。なくてもいい文章が必ずあるのだ。


そういった本筋とは直接関係ない話を消してしまえば見た目は読んでもらえそうな記事が書き上げられる。それは小樽氏も書いているが、氏は「答えはNo」と言っている。


もし、それを突き詰めてしまえば結論、ただそれだけになり、簡単に読めるだろうし、なにもこんなことで悩まなくてすむだろう。でも、逆に意味が伝わりにくい。なぜ、そういった結論にいたったか、それがわからないと意味はないだろう。問題の答えだけを教えられているのとなんら大差はない。


私も同感だ。短い文章は確かに読みやすいし、ざっと見渡して的確な意見が書かれてあれば書き手の言いたい事も伝わり良い事ではある。だが、私は矢張り書き手の性格が見えてくる記事が好きなのである。その人の文章力を期待して読んでいるわけではないのだから。
確かにある程度の読みやすさは考えて欲しいものだが、少々書き方がまずくても伝わりにくくても、好きなように書いて欲しいよな。私が思わず何かを書いてしまうようなそんな物を。そこには私の読解力の無さから生じる誤解も出てくるだろうが、私が反応して書くことで相手も「誤解しているな」と分かって下さり、それを時には指摘して下さるだろう。そんな風にコミュニケーションは生まれるのではないかな。


私も読みやすい文章を書いているとは言えない。しかも誤読はしまくるようであるし。それでも一部の方は私の書く物を定期的に読んで下さるし、時には取り上げて自分語りをして下さる。それがとても嬉しい。だから、私も無駄な文章など無いという意見に賛同する。
長くてもいいよ。私は読むから。興味ある記事ならどんなに長くても読むよ。ただし、誤読付きになるとは思うがね。(笑)