相手との話し合いで誤読は無くなっていくのではないかな


「鼻が赤くなりにくいティッシュです - 誤読という言葉がいまいち好きではないので別の言葉を捜してみた」を読んで。


 『誤読』という言葉は「誤っている」=「正しくない」という意味を含むので、記事を読んだ人に向かっては使いたくない言葉である。


誤読という言葉は読まれた側が言う言葉ではなく、読んだ側の人間が使う言葉だと私は思っていたよ。つまり、自分が伝えたいと思っていた事が伝わらなかった場合、それは時には読んだ側の読解力の無さで伝わない場合もあるとは思うが、書いた側の文章能力の無さで伝わらないという事もあり得るので、書いた側が「あなたは誤読している」とは言わない方がいいと私は思っている。尤も、私は何かを伝えたいと強く思っているわけではないので、私が言いたい事とは違う解釈をされても、それを楽しむようにしているがな。この世には、何が正しくて何が間違っているかなど誰にも決める事は出来ないからだ。何時でも、自分が正しいと思った事が正しく、他人もまた自分が正しいと思った事が正しいので、正しさが合致しない事はよくあるからな。後はもう、その正しさを互いに受け入れられるか如何かにかかっている。その為に話し合って互いの正しさを知る事が大事なのだろう。
だから、誤読も、互いに話し合っていけば無くなっていくように私は思っているよ。



rikuo氏のイラストは、私の文体には合わないな。(笑)


そういえば、今日は何処からかこの歌が聞こえてきた。



言葉だけでも人は強くなれるのだ。だから私は大事な人には声をかけ続ける。何時かまたこの場所で約束した人と出逢いたいから。