この記事は「後で読む」タグ禁止(笑)


「404 Blog Not Found書かれなければ〔後で読む〕ことも出来ない」を読んで。


私は読者を考えずに好き勝手に書いているつもりなのだが、読まれる事を意識して書いてもいる。「それで意識してるのか」と思われるだろうが、意識しているのだ、これでもな。実際、以前書いていた物より断然此処で書いている物の方が多くの方に読まれていると感じているからだ。勿論、読まれ易いように考えて書いているからでもあるのだが。
しかし、私は「自分にしか書けないこと」を書いているつもりは無い。当たり前の事を書いているつもりだ。同じく「だれが読んでもわかるように書いた文章」も書いているつもりは無い。ただ、難解な物は私には書けないので、分かり難い物を書いてはいないとは思うがな。


blogは「読んでもらいたいから書く」より、「書きたい事があるから書く」のに向いたメディアである。


この一文を読んで思ったのだが、書きたい事があるから確かに私も書いているのだが、では何故私は書きたい事があるのだろうかと考えてみた。私は読者を考えずに書いているとはいえ、矢張り私の書く原動力は「読んでもらいたいから書く」ようなのだな。「書きたい」と思うのは「これを読んでもらいたい」という気持ちがそこにあるから「書きたい」と思うのだ。「読まれたくない」と思っているなら私は書かないだろう。なので、私にとっては「読んでもらいたいから書く」と「書きたい事があるから書く」は同じなのだな。だが、私は錬りに錬った文章で書いている訳ではない。私には錬った文章は書けないようだ。


まず意識すべきはだらだらと思いついたままの長い文章でもいいからとにもかくにも書き留めることである。そこに見るべき一文があれば、それは引用されはてブされる。しかし書かなければ何も起きないのだ。


だから私は書いている。「まず書く」事だけを考えていれば、たとえ私の書いたものを「後で読む」とタグを付けられようが如何でもいいことだと思えるよ。尤も、私の書いたもの程度は「後で読む」にしなくても楽に読んでしまえると思うので、その様なタグは今までに一度付けられたくらいだったかな。そういえば「あとで」という似たようなタグを付けられた事もあったようだ。ああ、そうだ。「後でも読む」というタグを付けられ事はあったな。「後で読む」と「後でも読む」では、矢張り「後でも読む」の方が嬉しいものだ。と言うような事を書くと、この記事を「後で読む」と付ける者も出てくるかもしれないが。(笑)