消える怖さを秘めた書くという行為なのだと思うよ


「琥珀色の戯言 - ブログは「自伝」なのだろうか?」を読んで。


インターネットも永遠に此の侭情報を発信し続けるか如何か分からない。と同時に書籍であろうとも綴られた自伝が永遠に残る保障は無い。だが、インターネットは確実に無名の人々の自伝を多くの人々に読ませ、そしてその記憶に残す事が可能になった。インターネットが無かった時代であったら読んでは貰えぬ自伝でもある日記を、今なら遠い地に居る見知らぬ誰かに読んで貰えるのだ。
私は存在証明をしたいから書いているつもりは無かった。しかし、誰かに私という存在を覚えていて欲しいと願ってもいるので、矢張り私も存在証明をしたいと思っている事にもなるのだろうか。書かなければ私という存在も誰かの記憶には残らない。現在、それ程多くではないにしても確実に此処を見て下さっている何人かは私という存在を記憶に刻んで下さるだろう、その方が生きている限りは。或いは、私の方が繋がりを持った誰かの事をずっと記憶に留める事だろう、私が生き続ける限りは。私はそんな風にして誰かの記憶に残りたいと思っているし、誰かを覚えていたいと思っているよ。


 僕はたぶん、自分が消えちゃうのが怖いから、こうしていろんなことを書き続けているのです。


私もそうだ。それこそ、ブログ等といったもので何かを書く行為をしている人間は等しく己がこの世界から消えてしまうのを怖いと思っているのだと私は思っている。例え「何時消えてしまっても構わない」と言っている方がいたとしても、私は信じない。その人は気付いていないのだと。消えるのが怖いと思っていないのなら、書く行為などしないと、そう私は思っているよ。