少々感情的な想いに囚われる夜だ


「明日は明日の風が吹く - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - トラックバックをしないスタンスも無駄な事なのであろうな」を読んで。


トラックバックを送る基準というものがよく分からないという方は多いのではないだろうか。少なくとも私は分からない。確かに、自分は「こうする」と揺ぎ無い意思で持って送る送らないと決めていれば、誰が何を言おうとも無視をすればいいのだが、なかなかその様に強い意志を持つ者もいないと思われる。流石の私でも「礼儀知らず」と言われれば動揺しないわけにもいかない。


「礼儀知らず」とコメントを付けていたmaname氏がyas-toro氏の記事へ「その辺は人それぞれの主観でしょう」と書かれているように、何もmaname氏も全てを礼儀知らずと言っているわけではないのだろう。


私はアク解大好きなのでリンクされるとたいてい気づくのですが、どうしてトラックバックくれないんだろうって思います。


この様に氏が「何故だろう」と思うと同時に、トラックバックを送る側もまた「どの様な記事なら送っていいのだろうか」と考え込んでいるのだと思うよ。自分は送って良いのではないかと思って送ったのに拒絶されたという経験をした方もいるだろう。兎に角、何でもいいから送ってみて、それで手探りで送って良いもの駄目なものを探していくという事が大事なのだと分かってはいても、何度も痛い目に遭えばもうトラックバックは送らずにおこうと思ってしまうのも無理は無いのではないか。だが、結局は送る側が心を強くしなければならないという事なのだろうな。しかし、私の気持ちとしては「何故送ってくれないのだろう」と思うまではいいとしても、矢張りそれに対して「礼儀知らず」という言葉は聞きたくなかった。それが一番心に引っかかっているのだろう。例え、本当に礼儀知らずだとしても、それでも私は聞きたくなかった。そして、聞きたくなかったと感情的な言動をしてしまう自分自身に嫌悪感すら感じている。二度とその様な感情的な言葉は言わないつもりであったのに、それを書いてしまう自分が厭わしい。