自然体で無理なく書き続けていくのが良いよ


「白い戯言 - 本当の読者とは何か?」を読んで。


whiteball22氏は毎日更新を止めたくない理由に「読者の減少」を挙げており、カウンタの数字等もやる気へと繋がるものとして捉えている。それについて異論を唱えるつもりはない。私もウェブ上で色々とテキストを書くようになって随分と経つが、初期の頃は氏と同じような考えを持っていたものだから、氏を見ていると昔の自分を見るようで懐かしく思えるからな。


だが、今の私は毎日更新の理由は読者の為ではないし、カウンタもアクセス解析も設置していないので、毎日テキストを書くのもそれ等の存在でやる気が出ているわけではない。毎日更新は自分の為だ。何かを読んで書きたい事があるから書いているだけに過ぎない。例え言及したくなる記事が無くても私は何かが書きたいと思っているので書こうとして躍起になる。書ける状況であれば私は書くよ。何とかして書く。書く気力が無い時でも書きたくなる物を探してでも私は書きたい。


今回休んでわかったことは、たとえ休んで更新がなくなったとしても、
必ず見てくれるお客様は絶対に存在する。
厳密に言うと2種類存在する。一つは本当の意味のお客様、つまり上で言っている読者のこと。
もう一つは自分自身。つまりは筆者。
この大きな存在を自ら放り投げないように私は更新を続けて行きたい。


ブックマークのコメントでも何方かが言っていたが、私も「本当の読者」という言葉は今は余り好きではない。だからその様な表現を使いたくないと思っているな。
しかし、氏の言われるように確かに自分の書いた物を必ず見てくれる人はいて、それには自分自身も含まれるという考えには共感するよ。私もその様に思っているよ。


また期待に添えられるように頑張って行きたい。
そして、休むという勇気もこれから培って行きたい。


私も自分の為に書いているとは言っても、私の記事を読んで下さる読者がいることは分かっている。期待をされているのも分かっている。それをとても有り難い事だという気持ちも持っている。だが、期待に添えるよう肩に力が入ってしまうのも良くない事だ。私は飄々としていたい。そういう存在に憧れている。だからそれを実践しているのだ。


それでもこの様な若者が日々頑張っている姿というものは実に好ましい。私から言葉をかけるとしたら「頑張れ」というよりは「自然体で行こう」と言いたいかな。


そして、その流れで次の記事「大須は萌えているか?:やーい、バーカ」を紹介するのだが。


自分のブログの一番の読者は、紛れもなく自分自身。未来の自分が読んだときに、ウンザリするようなコトは書きたくない。


私が飄々としていたいと言うのも、自分の記事を読み返してみてうんざりしたくないからというのもあるな。他人も私の記事を読んでうんざりしてしまう事もあるだろう。ただ、そのうんざりとするポイントというものは人それぞれであるから、私がうんざりするからといって他人もうんざりするかどうか分からない。恐らく、私が今書いているものでもむかついている方も何処かにはいるだろう。それはもうどうしようもない事だ。だから、他人である読者はこの際考えないようにして、自分がうんざりしない物を書いていけばいいわけだ。


だが、先程、whiteball22氏に対して「自然体で」と書いたように、暴言を吐く事が自然体であればそれは否定はしたくない。暴言を吐くなとは言わないよ。その暴言にも何かを感じる事も私にはあるからだ。思わず見入ってしまうほどの力がある暴言。その様なテキストにも私は心惹かれる。だから「自然体で」と私は言い続けるのだ。


それにしてもコメント欄のらぶ氏のコメントは相変わらず絶妙だね。(笑)


【追記】whiteball22氏よりコメントを頂いた。


私にとって毎日更新は自身のためと昔は考えていましたが今となっては中毒という名の習慣ですね。やらないと気がすまないというか。


中毒という名の習慣か。やらないと気が済まないというその気持ちはよく分かる。私も気が済まないからやっている向きはあるからな。
ただ、私はそれ以外に、此処で何かを書くことが楽しくて仕方がない。此処で書く事によって、日々起きる嫌な出来事を大した事ではないのだと思えるからだ。
しっかりと生きる為にという言い方は大袈裟かもしれないが、私の毎日更新にはそんな理由も含まれているよ。