書く事で救われる者も居ることは軽い事ではないよ


「煩悩是道場 - ウエブログに於けるアクセス数と自己実現」を読んで。


そもそもウエブログが自己実現アイデンティティ確保という目的を達成するのか甚だしく疑問であります。アイデンティティ確保なのなら実名を名乗ってなんぼだろうという気がするし、ブログごときを書いて達成出来るペラい自己実現って何よって気もするんですけれどね。


アイデンティティ確保に実名は関係無いと思うのだが。実名だろうが匿名であろうがアイデンティティは同じではないのかな。後、ブログ如きという事であるが、ブログは兎に角書く事が大前提だと私は思っている。勿論、書くだけがブログではないのかもしれないが、矢張りブログはまず書く事ありきだと私は思うので、書く事を軽い物であるという発言は少々乱暴ではないかなと思うのだが。
たとえ、書く事が軽い自己実現であるとしても、それでしっかりと生きていけるというのならそれもまた誰かを救っているという点で、それは既に軽くは無い。少なくとも私は書く事で生きようと思える人生を今まで送ってきたのだから。


ただ、私もululun氏が言われるように書く事はマスターベーションであると思っている。本来ならば自分が読む為に書く行為の日記である。マスターベーションも本来は己が気持ち良くなる為に一人で行う行為だよな。だが、それだけでは満足出来ずに誰か第三者にも読んで貰いたいと思う事は、確かに不特定多数にマスターベーションを見せる行為でもある。誰が言ったか、作家という家業は公衆の面前で裸になって歩く事だと言っていたが、まさにそれに通ずるものがあるよな。
その気持ち良い行為は書く事だけではない。アクセスが上がる事で絶頂を感じる者もいるだろう。これはと思った相手とコミュニケーションが出来る事が一番気持ちいいと思う者もいるだろう。
氏はかつては「アクセス数をウエブログ更新のモチベーションとしていた時期もありました」と言っているが、私も昔はそうだった。それにもう一つ、私は誰かからのリアクションを欲しがっていたな。
今も多少はリアクションは欲しいと思わないではないが、アクセス数は全くどうでもいいと思っている。更新のモチベーションは無くなることは無い。体調が悪くない限りは書きたい思いは一定して強いからな。

氏も書きたい事をただ書いているだけなのだろう。私もそうだ。此れからもこの様に書きたい事を好きに書いて行きたいと思っているよ。