何時までも残り続けたい


「北の大地から送る物欲日記 - 見る見られるに関する気持ち悪さの感情の裏側を探る。」を読んで。


私のブログの過去ログは大した量ではない。アクセス解析を付けてはいないが、もし仮に付けていたとしても、過去ログを短期間に読まれてもそれ程アクセス数は上がらないだろう。だが、それも大量の人間に過去ログを読まれたとしたらかなりアクセスは上がるとは思うのだが。


hejihogu氏が引用している文には、記事内容で気持ち悪いと感じるか如何かは違ってくると書かれている。それで言えば、私のブログも「自分の記録や親しい知人への近況報告的な目的でブログを書いている」という訳ではないので気持ち悪いとは感じないという事になるのだが、しかし、私のブログは「何か主張したいことがあってブログを書いている」という訳でもない。主張ではなく自分語りであると私は思っているのだな。そういった自分語りをしているブログの管理人は如何なのだろう。矢張り過去ログを読まれるのは気持ち悪いと思うのだろうか。
今ではそれ程強く思っている訳ではないが、私は自分を他人に理解して貰いたいという気持ちが強かったので、それもあって過去ログは読んで貰いたいと思っていた。自分を理解されたい、好きになって貰いたいという人間は過去ログを読まれる事に気持ち悪さを感じないのではないかと私は考える。


日々の思い、日々の暮らし振りを綴っていれば、その管理人の動静や好み等は分かってくる。今度学校でテストがあるらしいと分かれば「頑張ってください」と掲示板で声をかける事が出来、次の日は誕生日だと今年は書いていなかったが、去年の今頃の日記には書いていたなとなれば「おめでとう」と日付が変わってから書き込みも出来るだろう。そういった事は過去ログを読んでいるからこそ出来るコミュニケーションの一つである。
しかし、此れは別の意味で危険を孕んでもいたりするだろうな。過去ログを読んで頻繁に声をかけてくれる人と気持ちの良い関係を続けていっていればいいのだが、その関係が壊れた場合、相手がストーカーに変わってしまう事もあるだろう。それについてはhejihogu氏も書いている。


 ブログには、「自分が誰と分かるような個人情報を書き込むな」という注意ごとがよく言われていますが、こうやって自分のブログを隅々まで眺められることがある以上、そこから自分が誰か特定されてしまうことも十分有り得る話で、ストーカーなんかに対しては格好の餌となってしまいます。


これはストーカーとは少々違うのであるが、昔、あるサイトの管理人が掲示板で晒された。その晒された掲示板にはそのサイトを隅々まで調べ上げて管理人が隠していたページまで暴いてはリンクを貼っていた。隠していたページとはその管理人の個人情報であったのだが、ネットにそういう個人を特定されるようなものを書いてはいけないのだなと私も勉強させて貰った出来事だった。


その様に個人情報に関わる記述は、もし書いてしまったとしても消えて欲しいとは思うのだが、ネットに上げてしまった時点でなかなか消えないものだというのは忘れてはいけない。だが、掲示板等で発言した物も同じく消えないとはいえ、ブログやサイトに掲載された発言よりは掲示板の場合は何れは消えていく運命でもあるよな。
無料で借りる掲示板のほとんどがログは何件までしか保管されていないというのが普通だと思うのだが、中にはその消えていく発言を保存し、それをサイトに掲載する者もいる。そうすると過去に発言した物もネット上にずっと残ることになる。
確かに、ただの雑談として書いた掲示板の書き込みを残す酔狂な者はいないとは思うが、中には読み応えのある書き込みをされる方もいるので、それを残して置きたいという気持ちは如何しても出てくるだろう。だが、書き込んだ人はそれを果たして望んでいるのだろうか。矢張り掲示板に書き込まれたものは消えるがままにした方がいいのではないかと私は思ったのだがね。
ただ、掲示板の場合はその様に管理人が残そうと思えばログを残したり、わざわざ消そうとしなくても何れは消えるのを待つという事も出来るのだが、これがブログのコメントとなると少々違ってくる。
今まで掲示板に書いていたような事をコメント欄に書いているという点で、掲示板に書き込みするのと同じ様ではあるのだが、掲示板と違うのは記事に連動してコメントもずっと残る訳だ。勿論、管理人の気持ち一つで消す事も出来るという事は掲示板と同じではあるのだが、掲示板のようにほっといても消えるという訳ではない。管理人が動かない限り、消える事は無いのだ。
コメント欄でなかなか長文が書き込めないのも、そういった心理が書き込む側に働きかけるからなのではないだろうか。
少なくとも私がコメントを書き込めなくなったのはそれも理由の一つであると思っている。とは言え、コメント欄に限らず、実際、掲示板にも書き込みしようという気持ちはなかなか今は起きないのだがね。


 人の記憶は忘れるという機能があるので、うまく都合の悪いことは忘れられますが、ネットはコンピューターによる情報の記憶で成り立っている以上、自動的にそれを忘れるような機能は存在しておらず、一度アップした情報はどこまでも残り続ける可能性があるんだということは意識しておく必要があるのかも。


書き込みが今はなかなか出来ない私ではあるが、だがしかし、それでも私はこの「残り続ける」という事にロマンを感じている。ロマンという言葉は大袈裟かもしれないが、其処には求めて止まない「永遠」があるような気がするのだな。勿論、ネット上に上げられたもの達が永遠を得た訳ではない。ネット自体も永遠に此の侭続くという保障は無いからな。しかし、今の時点では、ネットに上げられた時点で「どこまでも残り続ける」という事が、私に永遠を感じさせるのだ。
私というこの存在さえも、このネット上では永遠に残り続けるとしたら、これ以上のロマンは無いなと思っているよ。