誰かの為に生きているとしたら


「あんたジャージでどこ行くの 死にたい人は救いなんか求めていない」を読んで。


 死にたいと思ってる人は、なんとかして欲しいとか、救って欲しいとか、そんなことを思っていないでしょう。


コメント欄で誰かも書いていたが、確かに思う人はいるだろうな。だが、私が死にたいと思った時は何とかして欲しいという気持ちはあったとしても、何とかしてもらえるものでもないという気持ちも抱いていた。自分で、或いは誰かで何とかなるものなら死にたいなどとは思わないだろうからだ。そういう事で、筆者が「そんなことを思ってないでしょう」と言うのも否定できる事ではない。


それに、私の近しい人間はきっと言うだろう。「何とかしてもらえて現状を打開したとしても、それではお前はこれから生きていく事は出来ないよ」と。
次から次へと問題が起きるのが人生というものだ。順風満帆で人生を終える人間は恐らく皆無。誰かに何とかしてもらうのも決して悪い事ではないが、それを当たり前と受け入れてしまい、何か事が起きた場合に己の力で問題を打開しようと最初からしなかったら、その人は生きていくのは困難ではないか?


何度も打ちひしがれる事は私もある。それでも毎回這い上がるのも私だ。勿論、それは心の持ちようもあるだろう。それが誰かに何とかしてもらいたくてしてもらったからというのではないとしても、それでも誰かのたった一言の言葉でも這い上がれるのだ。それを「何とかしてもらったのではないのか」と言われても構わない。恐らく自分一人だけの力では救われない。自分だけの力だけではなく、信頼する誰かの言葉、或いは抱き締めでも一歩を踏み出すきっかけとなる。


人間は独りでは矢張り生きていけないと思うよ。少なくとも私は大切に思う人の為に生きている。それだけでも私は死ねないと強く感じている。