大いに我が儘に生きよう

「自分の為に我が儘を貫けない人間は他人を愛することも出来ない」

 

これは私の尊敬する人が言っていた事だ。一見矛盾しているような気もするのだが、よく考えてみれば我が儘というものは己が可愛いから出てくるものであって、要するに己を好きであるという事と同じだと思う。己を好きになれる人というのは他人への情も持てるし、他人に優しくできるし、他人を愛する事も出来ると言われている。つまり、自分を愛せる人は他人をも愛せるという言葉と先に述べた言葉は同義語であると思うのだが、如何なものか。

尊敬するその人は、我が儘である事を恥じて、他人の顔色ばかり窺って生きてきたという。私も同じである。だがその人はそれを長い時間をかけて克服し、今は己の物言いに堂々と自信を持っている。私はその態度がとても潔いのでとても大好きなのだ。たとえ誰に非難されようとも、その人がそこまで非難される人間かどうかなど誰にも決められる事ではない。それは時が経ち、後世の人々があーだこーだと決める事であり、今の私達がそういうくだらない事に血道を上げるなど愚行なのである。何故その事に気付かぬのか。一生懸命生きていれば、他人の事などどうでもいい事なのだと気にしなくなるものなのに。

 

いかん。
横道に逸れたぞ。(笑)

 

我が儘でない人間など何処にもいはしない。大なり小なり人間とは我が儘なものなのだ。多少の我慢とかは必要であると思う。だが、その人も言っているように、己の自我をしっかり確立し、それを持って相手と対峙する事は本当の意味でのコミュニケーションを取るという事で、とても大事な事なのだなあと、そう思うに至った。「我が儘」という言い方は多少悪い印象があるのだが、要するに、己の意見をしっかりと持ち、それを相手にきちんと伝え、その上で付き合っていく事と同じ事なのだと思う。そして、それこそが本当のコミュニケーション、本当に相手と対等に付き合っているのだという事なのであると。

 

嫌なら嫌と宣言する。
してほしくない事はきちんと伝える。

 

そういう事を正直に言うと、とかく他人は「あなたは我が儘だ」と言うものだ。確かにそれは我が儘だ。だが、それは必要な我が儘なのである。それを言う勇気を持つ。それで壊れる関係ならそれまでの仲だったという事。己が我が儘であると認め、そしてそれを自身が受け入れ愛する事が出来れば、他人の我が儘もそれほど大した事ではないと思えるし、互いに敵対する事もなくなるのではないかと、そう愚考するのだが。

 

しかし、これも双方がそう思えれば良いのだが、なかなか上手くいかないのも世の常という事で。

 

そういう私もまだその人のような境地にはなれない感じではある。だが、少しづつでも前進はしていると思う。私の場合、人間関係のトラブルの遍歴は大抵の人より多いと思うからな。自慢にもならぬ事だが。だが、確実に賢くなっていってるのではないかと、自分を信じたいと思うよ。