誰かを嘲笑う事は己を嘲笑っている事に等しい


「Life like a clown - 幻想を信じる基準」を読んで。


幻想は必要だよ。少なくとも私にとってはね。だが、全ての人間にとって必要か如何かは分からない。tt_clown氏が挙げられている事に当て嵌まる人間には不必要なのだろう。


・物理的(身体的,金銭的など)な被害を被るかどうか
・幻想を信じていない人からの嘲笑に耐えられるか


だが、思ったのだが。物理的な被害の身体的な被害とは如何いったものがあるだろうか。幻想で身体的な損傷となると私の想像では自傷などが挙げられる。最悪なのはそれで死んでしまう事であるのだが、死なない限りは、もしかしたらその幻想から目が覚める事もあるかもしれない。そういうプラスな考えに持っていきたいと思う。
他に心が傷付けられるというのもあるだろう。だが、私は心が傷付けられる事は悪い事ではないと考えている。傷付けられる事は己の精神を強くしてくれるよ。私がここまで強くなれたのも、私が傷付きやすい心を持っていたからだと思っているしな。
それから金銭的な被害だが。直ぐに思い浮かぶのが誰かに貢いでしまう事だろうか。だが、それも幻想に対して支払われるものという考えでいけば、何かを買う時には金銭を支払うという考えと同じであると私は思うよ。それは被害とは言わない。確かな物として手に残る物は無いかもしれないが、夢が手に残るのなら、私はそれに金を払っても構わないと思っている。


人はある程度騙されていた方が幸せではないのか,としばしば思います.似非科学や怪しい信仰など世の中には幻想に溢れていますが,その幻想を全て潰してしまうと逆に生きづらい世の中になってしまう可能性があります.


私にもたった一つだけ信じている幻想というものがある。その幻想は、他人にとっては下らないと言われてしまうだろうし、嘲笑の対象となってしまうに違いない幻想ではあるのだ。だが、私にとって、その幻想は生きる源となっている。誰が嘲笑おうが、私はその幻想を心から愛しているし、無くてはならぬ大切な物なのだ。だから、私は他人が信じている物を笑う事は出来ぬ。それは自分自身を嘲笑っているのと同じ事なのだ。誰かを笑う事は己を笑う事なのだ、と。私はそう思っているよ。