忘れないではなく忘れるな


「Fragments 人間の忘れやすさ」を読んで。


忘れてしまう生き物、それは人間、か。忘れてしまう事は悪いことじゃない。忘れなければ心が壊れてしまう人もいるからな。だが、忘れてしまった事で心壊してしまう者もいるのだ。忘れないでいる、ではなく、忘れるな。忘れる事は死ぬ事。それが私だ。私に強要するな。忘れろと言うな。それは私を殺すことだ。誰かが何時か私に放った言葉は、私の心に刺さり、だんだんと深く深く確実に深く刺さっていき、何れは私の心臓を突き破るだろう。そして、全てを忘れ去った時、私は息絶えるだろう。私を殺したいと思う者、言えばいい、「忘れて」と。「私を忘れて。あなたを忘れるから」と。



YouTubeで見つけてきた動画の説明欄に以下の一文があった。


ある後輩いわく、
『想い出はなくても生きていけるけど、
なくなったら悲しいかな。』

結局、想い出で最も大切なのは、
いつ、どこで、何を、なぜした?
かではなく、
【誰と?】なのかもしれない。


私は生きてはいけないよ。その人との想い出がなくなったら私は生きてはいけない。たとえその人が死んでしまっても、それでも生きていく事が出来るのは、その人との想い出が私の心にあるから。


君が死んでも私が死んでもそれぞれの心に君も私も生きているのだから。それが想い出というものなのだから。だから私は忘れない。「君」を忘れない。絶対に忘れるものか。