つまりは私は意気地の無い奴なのだ


「304 Not Modified コメントとトラックバックの違い」を読んで。


以前の私ならこういう記事読むと「あなたに好意を寄せている人が傷付きますよ」と書き込みをしたものだった。
つまり、特定の好きなサイトを挙げる事は、そのサイトのようなサイト運営をしていない人にとっては「では私はあなたには好かれないのだな」と思ってしまうものだから。
だが、それは私自身がそう思う傾向にあったからに他ならない。「あなたに好意を寄せている人が傷付く」ではなく「私が傷付きます」と言わなければならなかったのだね。
そういう話は最近でもよく聞く。誰かが、ではなくあなたがなのではないのですか、と。


話は変わるが。私はコメントをつけようとすると自分語りをしてしまうのだから、トラックバックを送るのがいいのだろう。だが、私は筆者のように何を気をつけていいのかが分らない。分らないのなら様々な人の「これがそうだ」「これはいけない」という意見を読めばいいのだが、私がそのどれに当てはまるのかが分らないのだ。
だから、結局はめんどくさくなってしまって文中でリンクをしてそれで済ませてしまっている。読みたい人だけが読んでくれればいいとそう思いながら。
此処でのトラックバックの送り方が分らないというのは本当の事なのだが、間違った送り方をしてしまったとしてもやってみればいいことなのである。それをやらないでいるのは、つまり私は相手にされないのは嫌だから送らないと思っているのだ。それに気付いたのが、知り合いがさかんにトラックバックを送っても相手にしてもらえていないのを見てではあるのだが。その人がそんなに悪い記事を書いているわけではないと思うのだが、誰かもコメントで書いていたように、恐らくその人の記事はリアクションがしにくいコメントが付けにくい記事なのだろう。
それはもう仕方ないとしか言いようがない。その人は「気にしてないよ」と言っているし、その気持ちは本当らしいのだが、私は気にする人間だ。
だから私は此れからもトラックバックはしようとは思わないし覚えようとも思わない。これは怖いというよりは不快な思いを味わいたくないというのが本音かな。
トラックバックを送らずに書いているだけなら、リアクションがなくてもそれほど不快にはならないようなので、私はこのスタイルがいいんだろう。


筆者のように「大好きです」と好意を持っている相手に伝えたいものだが、私には出来そうにない。意気地の無い奴だね。(苦笑)