見えない腕で見えない心を抱き締めたい


「Mugi2.0(むぎむぎ) - なにを欲してブログを書きますか」を読んで。


私が書く理由は、基本は聞いてもらいたいということ。そして、私の書いたもので浮かんだ思いや考えを書いてもらいたい。それは必ずしも私の書いたものへの感想でなくてもいい。話が逸れてしまってもいい。その人が何かを書くきっかけとなってくれたらと思っている。とは言え、まだまだ誰かの背中を押すようなものは書けないのだが。


きっと,欲しいものはいろいろあるのだろうけど,


ほんとうは,ただ,ぎゅっと抱きしめてほしいだけかもね。


この言葉たちをね。


抱き締めて欲しい、か。それは言葉で抱き締めるという事なのだろうか。言葉で抱き締めるとはどういう感覚だろうか。私には分らない。


筆者が言っている事は、言葉を抱き締めて欲しいということのようだが、言葉は心を表すと私は考えているので、言葉を抱き締めるという事は心を抱き締めると同じ意味と捉えている。
心を抱き締める。その感覚とはどういったものだろうか。
心というものが目に見えないものだとしたら、実体のない言葉で抱き締める事も変ではないかもしれない。実際に抱き締められているわけではないが、心が抱き締められているのを感じる事もあるだろうから。
しかし、言葉は実体がないと言えるだろうか。心は目には見えないが、言葉は目に見えるのだから、心と同じものだと言うのも違うかもしれない。
とすれば、言葉から生まれ出る見えない腕で相手の心を抱き締めると言ったほうがいいのかもしれないな。
ただ、それは矢張り相手との心と心の繋がりが無ければならないだろう。
そうであれば、相手に何らかのアクションは起こすべきとなるか。


声をかけられたら(コメント)、腕をとられたら(トラックバック)、感謝したい。そんな風に思った。